うそつき

 今日も一日、恵みをくださる 神様に感謝! 感謝!
 生きているってホントに キモチいいことだナ!
 明日もラーメンが食べられるだなんて俺は イイ国に生まれたもんだっ。
 若い頃は、そりゃ苦労もした・・後悔ばかりの 人生でしたが、楽しくなかったといえば、嘘になる。
 学校を出て、働いて、カミさんと一緒に 笑って、頑張ってきた。
 こんなシアワセが ずっと続いてきたんだから、すこし苦労をしたって、明日を信じられるんだな。
 
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 という感じの文章を突然書きたくなって書いた。
 なんかおじさん(ファジー)みたいな文体を目指して書いたけれど、あまりコードが見えていないので、はずかしい。
 文体を得ることは新しい言語体系に身を投じるのと同じように、新しい思考をも得ることなのだろうなと思う。新しい視点、新しい表現、自分にはない何か。
 
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 この間、アダーを見ました。
 玄関のポストについていました。アダーは小さいくもです。
 春になるとアダーはどこからかやってきます。
 ぼくはアダーには来ないでほしいとおもいます。
 アダーはすぐつぶれてしまうからです。
 それに、ほんもののアダーはずっと前にぼくのなかで
 同一性をうしない、今ではただ
 むすうの非アダーがそこらじゅうにあふれているだけで
 形象化したアダーという存在の
 fragmentからアダーを思い出すことすら
 苦痛であるからです。

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 まったくどうでもいいことですが、まぶたの厚さが1センチあったらいいと思いませんか? 人類のまぶたはいささか薄すぎる。
 わたしは思った。
 もしまぶたの厚さが1センチあったら、きっとアイマスクをする必要がないほど光を遮断できる。
 そうしたらちょっと仮眠でもしようかなと思った時に太陽の光が全然まぶしくないのだ。とわたしは思った。
 だからもしわたしが次に生まれることがあったらまぶたが1センチあったらいいと思う。
 かばみたいに鼻穴が閉じられるようになっていればもっといいし、サメみたいに歯が無限に生え変わったらいいと思うし、ゴリラみたいに握力が500キロあればいいと思うし、鳥のように翼があればいいなと思うし、こうもりみたいに超音波が出せればいいと思う。
 それからまったくどうでもいいですが、草のように生えていたい。

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 という感じの文章を書いてみて、30分経ったので、今日は切り上げようと思う。
 記事のタイトルは「うそつき」としたが、特に意味はない。さっき友人とLINEで話していたら、友人らがウーバーイーツに対してものすごい偏見を持っていて、その偏見の思考って反ワクとか陰謀論とかの考え方と似ているなって思って、少数の悪しき行いや失敗を全体に敷衍する考え方、何か名前があるのだろうか、知らないけど、それを「うそつき」という言葉で記録しておこうと思った、ただそれだけ。

無思考

 あまり考えると書けなくなる文章があって、それは面白い文章について考えていると特にそうだ、村上春樹のような、チャールズ・ブコウスキーのような、太宰治のような、そういうもののような、デニス・レヘインのような、そういう文章について考えていると、やはり彼らが部分的に人間ではないということが思い当たり、それは結局最初から分かってはいることなんだけれど、芸能人が部分的に人間ではないように、フィクション作家だって部分的には人間ではなくて、さらに言うとライン工だって営業職だって部分的には人間ではない、スタバのカウンターにいる人たちも同様に、求められているのは機能だけで、人間の機能・能力だけという場所・時間においては人間の人間性が不必要になるということなんだ。だから人間が人間性を部分的に捨てることはごく自然なことだと思うけれど、人間性を部分的に捨てた人間が実は人間だということを忘れてはいけないように思う。アイドルやドトールのカウンターの人やマンガ作家だって、部分的に人間性を捨ててはいるけれど人間だった。人間だったから人間であるということを忘れたら人間をやっていくのがとても大変になるのは目に見えていた。上島竜兵さんが亡くなった。
 わたしはテレビが好きな子供だった。あるいは映画のビデオを見たりマンガを一日中読んだりゲームをしたり小説を読んだりも少しはした。そしてわたしはテレビがわりと好きだった。テレビ番組の中でもお笑い番組が好きだった。田舎に住んでいたので映らないチャンネルもあったけれど、好きな番組を見て笑いまくっていることが好きだった。そこから学ぶことが好きだった。テレビから学ぶことは非常に多い。マスメディアのマスの部分がテレビ番組制作を支えていて、マスのマスたる姿勢は、使う人が使えば立派な武器にもなる。武器というのは人生を生き延びるための。要するに笑えることは生きることを生きやすくするし、笑えることの発想自体は人生を生き延びやすくする。最初から面白いことをばんばん発想できる人間はテレビなんてみなくてもいいのかもしれないけれど、学ぶ必要がある人間はそれをどこかで学ばなければならなかったし、その笑いの発想自体がコード化していれば共有することも容易であることだった。共有が容易であるということはコミュニケーションがある程度円滑になるということだ。ダチョウ俱楽部がもつ笑いの発想のうつくしいコードはわたしを何度か助けてくれたことがある、と告白せざるをえないだろう。そこには歴然としたルールがある。ルールを知ることで参加が可能となる。上島さんが押すなよ、絶対に押すなよと言うとき、わたしたちは彼を押したくなる。わたしがそのコードを用いて押すなよ、絶対に押すなよという言うとき、わたしは押してほしい。誰かに押して欲しいし、それで笑ってほしい。
 さびしくなった、今日は曇天。

カルボナーラ

 楽しいとか面白いとかが人生の中心にあるような錯覚を覚えて、そんな単純なものだったかなと考えてみると、結局そんな単純なものだったかもしれない。手段はどうあれ、過程はどうあれ、結局は楽しいとか面白いとかが人生の中心にあるのかもしれない。不快を避けて快を求めるように設計された人間の機能のために。でもそれが幸福なんだろうか? 考えてみるとよくわからなくなる。しかしカルボナーラは幸福か否かに関係なく今日も美味しい。

疲弊の人

 最近は夜勤明けに立ち食いそばに通っている。おいしいお蕎麦屋さんである。
 木の格子が組み合わされた江戸時代みたいな自動ドアを入ると短い廊下があり、その壁沿いに固定式のスツールが八本ほど立っている。さらに奥にいくと厨房があり、厨房の手前には注文を受け付けるレジがある。レジの周りは立ち食いそば用の狭いテーブルが囲んでいる。
 わたしは常の如くかつ丼セットもりそばを頼んだ。注文を終えた後は手持無沙汰で、あの時間をどのように過ごすのかは人によって違いが大きいように思う。自分が見定めた席について声がかかるのを待つ人もいれば、レジの周りでぼんやりしている人もいる。わたしは今日は廊下寄りの通路でぼうっとしていた。
 かつ丼セットが出来たので、盆にのせてスツールに座って食べていると、隣の隣に誰かが座った。最初は特に気にしなかったのだけれど、その人がかなり大きい声で「疲れたあ」と言うので気になって仕方なくなった。きちんと文字にすると「疲れたぁ~~!」である。ふにゃふにゃの甲高い裏声でほとんど投げ出すような調子で、完全なひとり言を放っている。
 相当疲れているようで、そのあと何度も何度も「疲れたぁ~~!」と言い放つ。世の中に疲れている人は多くいるだろうけれどあの人ほど疲れを前面に押し出している人はそういないだろうと思われた。事実、わたしも睡眠をまったくしない夜勤明けで相当疲れているけれど少なくとも周りを見渡して人間らしく振舞うことは可能で、あの人のように見境なく生きざるを得ない感じではない。ひとり言が誰かの迷惑になるかもしれないという想像をすら失ったら部分的に人間を放棄している。ため息もそうだし、身だしなみも同様だった。わたしが今務めている会社にはため息に関するルールがあって、それはそれで笑ってしまうけれど、ルールが出来たということは過去に問題が起きているということだから、そういう小さいところが案外社会生活に重要だってことはある程度の年齢に達すればなんとなくわかってくることのように思う。挨拶とか礼儀とか。
 疲弊の人はなおも「疲れたぁ~~!」と虚空に叫ぶ。わたしが出るまで合計8回言った。しっかり数えていたので間違いない。きっとあの人は店を出て電車に乗っても「疲れたぁ~~!」と言いまくるのだろうし、家に帰ったらもっと遠慮なく「疲れたぁ~~!」と叫びまくる事だろう。それはどういう人生なんだろう。疲弊を感じること以外に感じない人生。疲れないようにできないんだろうか? 
 疲れないようになんてできないよな。ただ叫ばないだけで、大概の人間は疲弊の人だ。ただ叫ばないだけで。

経験と経験の実感

 池袋駅で待ち合わせた。
 久々に訪れた池袋は相変わらず人が多く雑多で、壁沿いにスマホを持ち並ぶ若者たちがぐるりと立ち尽くしてぎょろぎょろ周りを見渡しているところが洗礼めいていた。彼らは何かを待っている。友人か、事件か。明るい場所に出るとドライな熱風が吹いて東京の都会の風だった。陽の光があまりに強烈で18時間睡眠後の網膜を通り越しダイレクトに脳へ直撃、眩暈の振れ幅が大きくなって一瞬、倒れそうになる。何十年か前に死んだ実家の犬がどこかで歩いている感じの光だった。踏みとどまって、東口喫煙所に向かうも押し合いへし合い奪い合いの様相で人間の業を感じる密集具合だった。入ることは可能だったけれどやはり具合が悪くなったので煙草半本も吸わずまろび出た。待ち合わせには早く着き過ぎたのでラーメンでも食べようと考え散策モードへ移行、しかしながら異様に気温が高く感ぜられたため日陰を選び、また冷房の効いた書店へ逃げ込むなどの回復スキルを使用した。書店は何度も命を救ってくれる。
 ラーメン店は何軒かあり迷うのだが「空いてる」をターゲットして散策することが肝要でお昼時だったため店内大変に込み合っております店舗が多かった。駅前から徒歩10分ほどのジュンク堂の更に奥のあたりの背脂重視系ラーメン店にinして券売機でbuyして座して着donして暑い日に食べるラーメンではない、という気持ちになったけれど美味いラーメンではあった。くどくなくさっぱり甘めスープ。しかしチャーシュー麺をオーダーしたのは少し失敗だった。チャーシューが薄い系の店だったため枚数が増えても焼け石に水。残機が増えたわけではなくヒットポイントが一時的に上昇するくらいの効果。
 駅前で人と無事落ち合い、暑いので喫茶店などにいち早く向かいましょうということにしてルノアールへ。知人はしきりに「暑いかな?」と首をかしげていたけれど果たしてスマホで気温を確認してみると24℃しかない。暑くはない気温だった。わたしの体調が異常なのかもしれない。ルノアールでさくら抹茶ラテという風な特異なものを飲んだ。ホイップクリームを盛った抹茶ラテでおいしく粉っぽくいただいた。それからルノアールは二杯目のドリンクが200円であるということ気が付いて愕然とした。それはあまりにも安い。きちんと覚えておきたい喫茶店はこれがはじめてだ。電子煙草のみ可の分煙ルームは8割ほどが埋まっており、非喫煙ルームは8割ほどが空いていた。ルノアールの椅子は高そうな座り心地のよさそうなソファーであるところがいいし、ドトールベローチェのようにせかせかした人があまりいないところも好き。しかしルノアールはマルチまがい商法の説明をしている二人組やバンドの解散について話し合う男性二人組などちょっと薄暗い話を聞くイメージが勝手についている。かまわないけど。支払いは知人の「薄汚れた金」の残金で支払った。薄汚れた金というのは、意に染まぬ収入の意で、知人はそれを消費しようとしている。わたしは寄生生物であることを求められていた。
 昔ながらの酒店でスミノフを二本買って西武の屋上でしみじみ飲んだ。空はやや曇りだったものの風の通りが快調で気持ちがよい。知人はこういう場所をよく教えてくれるのでありがたい。広い場所の広い空間を感じることはそれだけで有意義な気持ちになる。知人はどこへも旅行へ行ったことがない、という話をした。わたしはそれについてどう答えるべきかよくわからなかった。しかし気持ちはよくわかった。
 雑司ヶ谷霊園夏目漱石の墓をお参りすることにした。サンシャインシティの方からほてほて歩いていく。池袋の景観は独特の都会感を持っていて、それはサンシャインシティが起点になっているように思われた。空間の広さとビルの高さの具合がゲームマップのようで面白い。漱石さんの墓にありがとうと心で告げた。霊園はひどく静かでもう夏の気配がしていた。
 ロックバーへ。10人入るかどうかという狭い店内。照度の低い橙の電球、壁一面の酒瓶、ワイシャツとジレのバーテン二人、カウンター席に通され端っこの席で音楽を聴きながら酒を飲む。ロックバーでかかっているロック音楽は誰が誰だか全然分からないね、という話をした。マティーニ、X.Y.Z、ブルーハワイを飲んだ。どれも美味しかったけれどいつもオリーブの実を抜いてもらうのを忘れる。ブルーハワイは飲みやすく色も青く綺麗で宝石めいておりまたどこかでいただきたい。知人はウイスキーをロックで二杯飲みハードボイルド値が上がっていた。
 海鮮系焼き物居酒屋へ。腹が減ったので知人についてきてもらった。二階に通され、店内はモノトーンぽい落ち着いた色調。隣に座っていたトラック運転手のおじさんとキャバ嬢らしき人の会話が派手でうるさく少し残念だった。うるささを浴びる場所にいると元気が吸い取られて弱る。わたしと知人は煙草をぼかぼか吸って酒を飲みたまに会話をした。それからわたしはまぐろぶつ、鶏唐揚げ、もつ煮などをひとりで着実に食べた。知人は飲んでいる間は食べ物を全く食べないタイプの人間であり、焼酎の美味さを樽で飲んでもいいと褒めた。仕事の姿勢についての話などをして、なかなか興味深かった。誰もやらないことをやるのが好きだ、と知人は言った。この店で完全に薄汚れた金は尽きた。
 池袋駅で別れ帰宅する。帰宅してベッドに倒れこんだ瞬間もう寝ていた。忍者になる夢を見て、ひどく疲れて目を覚ました。
 

くるねなつが

 ふうんわりしたところから始めようとおもい題材はとくにさだめずかきはじめ、もじをふうんわりうかべておく。あまり地にあしのついたきぶんでもなくたゆたってとらえどころのない昼さがりのこと、そろそろくるねなつが、と受容のようなきもちになった。なつか、すると冷やし中華をまたたべることだ。さくねんは近所のらーめん屋の、やまもりの冷やし中華を常食としておったからことしもそれをやろう、あの九龍城砦の片隅にあったような油と時間にまみれた時代のついたらーめん屋の片隅でやきう中継を聞きながら冷やし中華をまたたべること。たべられること。くるねなつが、わたしはそれをふいにこうふくであるとおもった。わたしになつがくる、わたしはいにしえのらーめん屋にいく、そしてやまもりの冷やし中華をまたたべること。それはふしぎとこうふくな連鎖であることだった。それから肌にまとわりつくシルクのような熱気をおもう。澄んでたかい月、深い無限のくらやみをふくんだ夜空、原色の緑とあまりに強く発光する世界、まるでなにもかもが過ぎ去ったあとのように静かに揺れる町、セミの絶叫、空気にはいつもほのかに獣臭が混じって獰猛で、どこからか焼けた火薬のにおいもしている、スーパーカップをコンビニで三つかってその晩に三つとも食べる、くるねなつが。わたしはなつをおもうとき、いつも外の陽気と家の中の静謐の対比を嬉しむ。容赦のない不快指数と、エアコンの効いた物語世界の対比をたのしむ。アイスを食べてゲームをしよう、と考えるとそれだけでかならずわたしはきぶんがよい。ほっほっほ、きぶんがよい。たとえ実際にはゲームをしないとしても、それがわたしにとってただしいなつのすがたであることはすでに決まっている。ああうれしい。でもそれがなぜうれしいのか、わたしにはわからない。

眠る

ながらく不眠のわたしですが、このたび過眠にジョブチェンジしたかもしれない。

昨日は正午頃帰宅し、風呂とご飯の時間を除けば他は眠り続けた。

18時間ほどは寝ていると思う。

このぐらいでは過眠とはいわないのかな、よくわからないけれど眠い。