連続する夜の過不足

 夜の次には夜が来た。16時間の労働。朝早く会社を出て陽の光を受ける冷え切った体が解凍されていく。
 気温は夏に近づいている。明るくて強い光。風は無く、木の影は深い。排気ガスの匂い、疲労の膜が頭からつま先まで覆っている。そんな朝は命が軽い。ふわふわと宙に舞うような軽さで、そのままどこかへ飛んでいってしまいそうなほど希薄だ。駅のホームで逆方向に向かうたくさんの人々の間をすり抜ける。コンクリートと鉄で囲まれた渋谷駅のしんみりした冷たさ。階段に落ちている錆びた血痕。爆発音を立てて転ぶサラリーマン。急ブレーキが引き絞られ、真っ黒なカラーコンタクトレンズの冷めた目が、音の発生源を探っている。真珠のネックレスを二重につけた男性。ひとそろいの学生服。にゅるにゅるした獣がフォックストロットで通りを横切った。それらがみんな朝の景色で、電車の壁に寄りかかって目を閉じた瞬間に過ぎ去っていく。頭の中で鳴っている音楽はクラシックミュージックで、すべてピアノの曲だった。ドビュッシーの月はベートーベンの月よりやわらかい。世界を照らす日光と、頭の中の月光。こうもりは超音波で物を見る。音楽は僕の心の形をしらべている。

 帰宅してスーツをハンガーにかけたあと、必ず風呂に入って歯を磨いて寝ようと考える。しかし実行できたことは1度か2度で、大抵はベッドに倒れこみ浅い眠りに入る。3時間か、5時間か、7時間か、いつ目覚めるかは不明にせよ、目覚めるとまた夜が来る。見当識障害が来て、それは去る。浅い眠りの効果は薄く眠気はいつまでも留まっている。思い出が来て、それは去る。2日分の労働時間は16時間で、と僕は計算を始める。それなら2日分の睡眠時間も16時間必要だった。連続する夜の過不足を調べる。そうしてようやく風呂に入り歯を磨くことが可能となる。それは単純に機能の問題なんだ、と僕は思う。昨晩はずいぶん会社で笑った。食パンにピーナツバターを塗って食べる。何か贅沢をしよう、ふと思い立ち、1989年に放映されたアメリカのアニメを数本見た。『ザ・シンプソンズ』というコメディーなのだけれど、このアニメは第一話は悲しい。クリスマスのボーナスを貰えなかったホーマーが、スーパーマーケットでしけたプレゼントしか買えずに涙を流すシーンがあって、すごく悲しい。僕はその気持ちを理解できる。ホーマーを抱きしめたくなる。でも最後にはちゃんとマージがホーマーにキスして終わるから、僕は安心する。