経験と経験の実感

 池袋駅で待ち合わせた。
 久々に訪れた池袋は相変わらず人が多く雑多で、壁沿いにスマホを持ち並ぶ若者たちがぐるりと立ち尽くしてぎょろぎょろ周りを見渡しているところが洗礼めいていた。彼らは何かを待っている。友人か、事件か。明るい場所に出るとドライな熱風が吹いて東京の都会の風だった。陽の光があまりに強烈で18時間睡眠後の網膜を通り越しダイレクトに脳へ直撃、眩暈の振れ幅が大きくなって一瞬、倒れそうになる。何十年か前に死んだ実家の犬がどこかで歩いている感じの光だった。踏みとどまって、東口喫煙所に向かうも押し合いへし合い奪い合いの様相で人間の業を感じる密集具合だった。入ることは可能だったけれどやはり具合が悪くなったので煙草半本も吸わずまろび出た。待ち合わせには早く着き過ぎたのでラーメンでも食べようと考え散策モードへ移行、しかしながら異様に気温が高く感ぜられたため日陰を選び、また冷房の効いた書店へ逃げ込むなどの回復スキルを使用した。書店は何度も命を救ってくれる。
 ラーメン店は何軒かあり迷うのだが「空いてる」をターゲットして散策することが肝要でお昼時だったため店内大変に込み合っております店舗が多かった。駅前から徒歩10分ほどのジュンク堂の更に奥のあたりの背脂重視系ラーメン店にinして券売機でbuyして座して着donして暑い日に食べるラーメンではない、という気持ちになったけれど美味いラーメンではあった。くどくなくさっぱり甘めスープ。しかしチャーシュー麺をオーダーしたのは少し失敗だった。チャーシューが薄い系の店だったため枚数が増えても焼け石に水。残機が増えたわけではなくヒットポイントが一時的に上昇するくらいの効果。
 駅前で人と無事落ち合い、暑いので喫茶店などにいち早く向かいましょうということにしてルノアールへ。知人はしきりに「暑いかな?」と首をかしげていたけれど果たしてスマホで気温を確認してみると24℃しかない。暑くはない気温だった。わたしの体調が異常なのかもしれない。ルノアールでさくら抹茶ラテという風な特異なものを飲んだ。ホイップクリームを盛った抹茶ラテでおいしく粉っぽくいただいた。それからルノアールは二杯目のドリンクが200円であるということ気が付いて愕然とした。それはあまりにも安い。きちんと覚えておきたい喫茶店はこれがはじめてだ。電子煙草のみ可の分煙ルームは8割ほどが埋まっており、非喫煙ルームは8割ほどが空いていた。ルノアールの椅子は高そうな座り心地のよさそうなソファーであるところがいいし、ドトールベローチェのようにせかせかした人があまりいないところも好き。しかしルノアールはマルチまがい商法の説明をしている二人組やバンドの解散について話し合う男性二人組などちょっと薄暗い話を聞くイメージが勝手についている。かまわないけど。支払いは知人の「薄汚れた金」の残金で支払った。薄汚れた金というのは、意に染まぬ収入の意で、知人はそれを消費しようとしている。わたしは寄生生物であることを求められていた。
 昔ながらの酒店でスミノフを二本買って西武の屋上でしみじみ飲んだ。空はやや曇りだったものの風の通りが快調で気持ちがよい。知人はこういう場所をよく教えてくれるのでありがたい。広い場所の広い空間を感じることはそれだけで有意義な気持ちになる。知人はどこへも旅行へ行ったことがない、という話をした。わたしはそれについてどう答えるべきかよくわからなかった。しかし気持ちはよくわかった。
 雑司ヶ谷霊園夏目漱石の墓をお参りすることにした。サンシャインシティの方からほてほて歩いていく。池袋の景観は独特の都会感を持っていて、それはサンシャインシティが起点になっているように思われた。空間の広さとビルの高さの具合がゲームマップのようで面白い。漱石さんの墓にありがとうと心で告げた。霊園はひどく静かでもう夏の気配がしていた。
 ロックバーへ。10人入るかどうかという狭い店内。照度の低い橙の電球、壁一面の酒瓶、ワイシャツとジレのバーテン二人、カウンター席に通され端っこの席で音楽を聴きながら酒を飲む。ロックバーでかかっているロック音楽は誰が誰だか全然分からないね、という話をした。マティーニ、X.Y.Z、ブルーハワイを飲んだ。どれも美味しかったけれどいつもオリーブの実を抜いてもらうのを忘れる。ブルーハワイは飲みやすく色も青く綺麗で宝石めいておりまたどこかでいただきたい。知人はウイスキーをロックで二杯飲みハードボイルド値が上がっていた。
 海鮮系焼き物居酒屋へ。腹が減ったので知人についてきてもらった。二階に通され、店内はモノトーンぽい落ち着いた色調。隣に座っていたトラック運転手のおじさんとキャバ嬢らしき人の会話が派手でうるさく少し残念だった。うるささを浴びる場所にいると元気が吸い取られて弱る。わたしと知人は煙草をぼかぼか吸って酒を飲みたまに会話をした。それからわたしはまぐろぶつ、鶏唐揚げ、もつ煮などをひとりで着実に食べた。知人は飲んでいる間は食べ物を全く食べないタイプの人間であり、焼酎の美味さを樽で飲んでもいいと褒めた。仕事の姿勢についての話などをして、なかなか興味深かった。誰もやらないことをやるのが好きだ、と知人は言った。この店で完全に薄汚れた金は尽きた。
 池袋駅で別れ帰宅する。帰宅してベッドに倒れこんだ瞬間もう寝ていた。忍者になる夢を見て、ひどく疲れて目を覚ました。