文章と仕事とホラー音楽

 文章を書こう、と思って身構えているうちに疲れ、気が付けばyoutubeなどを眺めており、youtubeにもくたびれるとベッドに横になり、横になっているうちに秒で寝るみたいなことが増え、浅い睡眠の後に目覚めても脳がはっきりしないので曖昧な意識のままぼうっとして気が付くとモニタも照明もつけっぱなしでまた寝ていて、結局なんにも文章が進んでいない、冒頭の「今日は」で終わっている白紙が夏休みの宿題めいているということになりがちな昨今のわたしの体力・精神力事情を体現したような日が今日で、今、仕事に行く前になって意識がようやくパきパきになってきたのでこうして書いておるわけだが、書き始めてからここまで、まだ一行も内容のある話を書いていないところが、まさにわたしの技術であると胸を張って書いておこうと思うている。胸を張るような内容ではないにせよ、胸を張らないよりはいいのではないかと浅ましい。浅ましくいきてゆこうとおもふ。
 特に書いておきたいこともないような5月17日だった。会社の先輩と楽しく話をして会社の後輩と楽しく話をして仕事は適度に控えそうして三人で帰宅電車に乗るなど男子校の1ページのような職場となったことは面白かったし、ある意味で特別だった。仕事はいつもかならず苦しくつらいということはない。楽しく適当であることもあるというサンプルであるし、仕事が楽しく適当であることは「よいこと」なのだとわたしは考えている。むしろ「苦しくつらい」を求めているっぽい人がいるならばわたしはそれを遠ざけたく思う。楽しく働ける方がいいに決まっている。
 帰宅してからホラー音楽を聴いた。時々無性に怖い音楽が聴きたくなる。そのたびにyoutubeでホラー映画やホラーゲームのBGMを探して聴き漁っている。わたしは普段、ホラー映画を見ない。怖いからだ。怖いじゃないか。ひとりでホラー映画を見られる人を尊敬している。わたしは怖い映画のCMがテレビで流れるだけで眠れなくなるし風呂に入るときもびくびくしてしまう。ホラーゲームも怖いのでやらない。でもホラーな音楽は大好きで、というよりもホラー作品のために作られた音楽が持っている美しさや純粋さや悲しさや切なさが好きなのだ。というわけで部屋の中に怖い音楽が満ち反響し、いつ殺人事件がおきてもおかしくないような、悪霊に憑りつかれてもおかしくないような場が構築され、そして何も起きない。わたしは音楽を停止し、眠り、目覚め、仕事の前に短い文章を書いている。天気は晴れ。どこかで威勢のよい赤ん坊の泣き声が聞こえる昼下がり。わたしは意味もなくマンションの廊下に飛び出し、階下の大通りを列をなして走り抜ける自動車を見て轟音を聴いて、明るい! と思った。