荷捌き

 午前4時を過ぎても眠れない。
 よい眠りというのは後味すっきりの充実したレモンパイみたいな感じだけれど、わるい眠りというのはすかすかした味のないおからみたいな感じだった。
 部屋のチャイムがポーンと鳴ったのでおから状態から目覚める。
 ハッ、何かが起きている! という焦りで布団の上に飛び起き、わたしはズボンを履いていますか? シャツを着ていますか? 人間として最低限度の身だしなみですか? というチェックを3秒で済ませ、どたどたと玄関に向かうと、炎天下に宅配便の配達員の方が、ダンボールを抱えて立っている。ありがとうございます、とぼくは言う。
 四角くて大きいダンボールと、長くて平たいダンボールが届いた。
 どちらも中身は想像がついている。
 ぼくは長い方のダンボールから手をつけた。

 長いダンボール箱はテレビ台である。これは最近ネットで買ったものだ。置く場所のサイズと品物のサイズはきっちり調べ上げているし、設置予定地を綺麗に掃除してあるので良いとしても、組み立てスペースを確保することを忘れていたのは知能指数が低かった。散らかった床の上に長くて重くてでかい木の板やちょっとした鉄材を広げてしばし途方に暮れた。日頃の怠惰が作業の邪魔をしている。ぼくは具材の周りをふらふらと巡りながら、とりあえず音楽をつけた。組み立て家具を組み立てる時には、音楽がいつも助けてくれる。
 テレビ台は手順が非常に簡単なのだけれど、二段目の棚の作りがそれなりで、鉄の枠に木の板がうまくはまらなかった。ダンベルをハンマーの代わりにしてばんばん叩いて無理やり入れた。ねじ穴もうまく見つからないし、付属の六角レンチも穴に対してがばがばの手ごたえでおそろしかったものの、なんとか組み立て終わる。20キロのテレビ台を抱えて設置予定地にズーンと置くと、部屋がまたひとつ狭くなった感じがした。密度がすごい。宇宙船のコクピットみたいにごちゃごちゃしてきた。越してきたばかりの頃は、この部屋には何も置かずに、いつでも出て行けるようにしようと考えていたものだけれど、いまとなってはすっかりぼくの部屋になっている。ここに生活がある。

 ふたつ目の四角いダンボールは姉からだった。
 中にはジェラピケの部屋着やおやつ、インスタント食品、液晶タブレットなどが入っていた。
 部屋着はかわいいやつで、完全に姉の趣味だった。ぼくの誕生日プレゼントにくれたものだ。しかしながらなんというのか、このギャグのセンスというのか、中年のぼくにジェラピケの部屋着を送ってくる姉の自由さには安心を覚える。こういう風に、相手の好きそうなものや笑いそうなものを、しかもなるべく気持ちの負担にならないものを送るのがぼくたち家族のならわしだった。ぼくは去年、姉にはAKIRAというアニメのフィギュアと電気グルーブのサンダルを贈った。そういう絶妙にちょっと笑える変なものを贈り合い続けている。姉と一緒に暮らしている姉の友人にはハリウッドザコシショウのTシャツを贈った。わざわざハリウッドザコシショウさんのショップで買ってきたものだ。今年は選ぶ体力があまりなかったので、お台場のイタリアンを予約してある。物珍しさというか、大人ぶっているところがそこはかとなく面白いのではないかと期待している。