ばくはつする生活

 爆発している。爆発させている。
 
 渋い話をして、その中には多めの嘘を混ぜた。
 混ぜることになった。どうせ嘘をつかなければならなくなると思ったから、でも出来るだけ真実に近い形で嘘を考えた。考えたくはないし、ぼくの代わりに嘘を考えてくれる人が現れるくらいには嘘が必要な局面で、ぼくは嘘がめちゃくちゃ下手だった。嘘の才能がないし嘘の努力もしてこなかったし嘘のメンタルも鍛えていなかった。それでもなおぼくは嘘をつき、その嘘はある程度は成功した。面倒くさいし人生が少し嫌になった。そして人間の生活が面倒くさくなった。それから、結局はぼくが選んだ道だということを改めて認識する。生きるのは楽じゃない。他人の感情の波動に揺らいでおびやかされていつまでも泳ぐ機能のないプランクトンの気持ちがわかった。
 
 同僚と飲んだ。てんぷらとそばの膳を食べそれからビールを何杯か。ファミレスでのことだった。ぼくは疲れていたし同僚も疲れていた。愚痴を言い合ったりする機会は必要だと思う。喜びも苦痛も「感情が高ぶる」という点に於いて消耗が増加するのは体感として心得ており、どちらも外部に委託することで負担を減らすことがある程度は可能だ。必須ではないにせよそのスキルは有効であり、気休めになる。そして気休めを怠った人間は気が死ぬ。だから気を休めることは非常に重要であり、ぼくたちは気休めを言い合って、それから過去の面白い話を言い合ったりしながら赤い顔で真っ暗な道を歩いて家に帰るのだ、しょぼい街灯の下をそれでも希望とかに向かって。
 
 たくさんのことをしたなあという実感があって、それは何もないよりはマシだと思うけれど、だからといってたくさんのイベントが常に幸福であるかというと疲れる。Vのコラボカフェに行ってきた。あまり休日に会わないタイプの人達と初めての場だったので多少は変な空気になったしなんかみんなごにょごにょしちゃうし視線は合わないし、端的に初々しい雰囲気となったが、コラボカフェに入ってしばらく経つとすっかり空気にも慣れ、壁に張られたでっかいキャラのイラストやモニタで始終流れているキャラソンや巨大パネルの横で記念撮影などをしてIQが下がった。Vに囲まれた中でVの動画などを見てたいそうアホであった。ぼくはなんというのか、だんだん記念撮影とかに慣れてきていた。人と会って人と話して人が泣いて人が怒って人が笑って人が帰って人がまた現れて、そういうのを繰り返していたらだんだんその場を楽しむ、という度胸がついてきた。萎えている部分もあるし馬鹿らしいなあと思うこともあるけれど、だからといって拒絶的な気分になることもなくなってきた。素直に楽しもうと思うし、素直にやりたいことがやれる状態ならやろうと思えるようになった。これは一種の「殻を破った」状態なんだと思う。いい歳だから殻も割れて剥がれてどっかいったのかもしれない。殻があることは悪い事ではないけれど不自由なことだと思うし、殻的に見える態度がそもそも虚無であることもありそのラインは他者に適応できない。そのあとでみんなでダーツをして今年一番笑った。とても面白い一日だった。
 
 Vのコラボ映画に行ってきた。全員がそのキャラクターのファンだ、という状態ははじめてだった。会場にいる全員の推しが同じだ、というのは異様で、しかし何故か悪い気持ちではなく、ちょっとした仲間意識さえあり、すこし安心する気持ちもあった。「隣を見て。いいから隣見てみて。その人も同じファンだよ」と言ってVは笑った。ぼくと隣に座っていた眼鏡の男性は一瞬ぎこちなく見つめ合い、それから油の切れたロボットみたいにスクリーンに顔を戻した。隣に座っていた男性からぼくはどのような人間に見えただろう。ちゃんとVのファンに見えただろうか。キャラクターのTシャツくらい着ていけばよかった。ファンであり仲間であり、そして他人である。面白い経験だった。映画はアクションアニメ映画で特に何か特徴的な点があるというわけでもない。普通に面白かった。ぼくは誰かと話したくなった。でも何を話せばいいのかなんてわからなかったし、きちんと考えると話したいことなんて何一つないようにも思われた。映画が終わってVがスクリーンから姿を消すとファンがぞろぞろと映画館を出て行く。ぼくはしばらく座ったままこの人たちが同じものを好きだという状況をどう解釈したらいいんだろう、と考えていた。それはつまり、同じ言語で語ることができるということだ。しかし、だからといって会話したいということでもないんだとぼくは思う。ぼくたちは経験を共有した。それは歴史を目の当たりにしたということだ。ぼくたちは同じ場面を、それぞれ個々の事象として獲得したのだ。似てはいるし、共通点は多いだろうけれど、それはユニークな経験だ。ぼくたちは仲間であり、そして他者である。ファンである限り、またどこかで会うこともあるのだろう。その時をぼくは楽しみにしている。だれもひとりではない。
 
 疲れた。楽しいことは楽じゃないんだって甲本ヒロトさんが言ってた。それは本当に本当だと思った。楽しいし、未来に向かってダイナミックに生活が爆発している。何もせずに人生が終わっていくのだろうと思っていた過去の自分が未だに驚いている。ぼくは今のぼくになれていないし、10年前からずっと生活は爆発しつづけている。故郷の家がなくなって、東京に来なければならなくなったあの日からずっとずっとずっと。