ライブに行きませんか?
と、Aさんに誘われた。
どういうバンドが出るのか調べてみる。ライブハウスの質素なサイト。
その日の出演は知らないバンドが二つと、ぼくが20年前にファンになってからずっと影響を受け続けているバンドだった。いつかきっと死ぬまでにライブに行こうと思っていたバンド。
えっ? Aさんにこのバンドが好きって言ったっけ?
言ってないと思う。Aさんが好きにならなそうだし、そんなに有名なバンドでもないからなんか変なマウントみたいに思われても嫌だし、だから言ったことはないと思う。でも、ならなぜここにそのバンドの名前があるのか。おかしい……何かがおかしい……狂っている。奇跡というか、奇跡じゃないか。
ぼくは「行くことにしました」とだけ返信をした。
20年溜め込んできた気持ちは、20年の歳月によってもっと複雑な愛に変化している。
それはまるで家族に対する愛である。自己に深く根ざしているから切り離して考えることさえ難しいというような。
当日、無事にライブハウスに着いた。ガラガラだった。閑散としている。ドリンクチケットでジントニックを頼んで、会場が暗くなってステージに最初のバンドが現れ空間の広い音楽を演奏をした。
そのあとにぼくの好きなバンドが出た。
20年好きだったバンドだから、ぼくはその時「化石を見ているような気持ち」になった。
うれしかったし、好きだったし、かっこよかったし、迫力もあったし、動いていたし、バンドの人達も生きていたし、ぼくもずっと生きていたし、だから、でも、しかし、ぼくは全く感動しなかった。
15年前にこのライブを見ていたら、涙のひとつでもこぼしたのかもしれない。
でも、このバンドの音楽は、もう感動がたどり着かないくらいぼくの一部になっていた。
自分の手を見て感動する人間なんていない。このバンドはもうぼくの心の基礎を担ってしまっている。
そのことを悲しいともうれしいとも思わない。
自分の手を見て悲しいともうれしいとも思わないように。
ぼくはにこにこしながらステージの上のバンドマンを眺め、爆音で耳を痛め、そして20年前のぼくが泣いてうらやましがるようなことを、ほとんど何も感じずに終えた。