光沢を放つ

 ちょっとバッドなメンタルに偏り過ぎていたように思う。疲れやストレスや、いわゆる中年の危機的な心の変化や、それを全く考慮することのない外的世界との付き合いの増大や、その他色々、くたびれた精神状態におちいる原因には事欠かなかった。特に、禍によって転職せざるを得なかったこの9ヶ月は、個人的な激動であり、翻弄されっぱなしだった。いわゆるセルフケアもおざなりで、部屋も精神の状態を表しているかのようにうらぶれていった。床にAmazonの空き箱や書類が散乱している。シャワーカーテンは変な色になり、カモミールの芽は何本か倒れていた。ぼくは真っ暗な部屋のベッドに寝転がり、これは良くないなと思った。何ヶ月かぶりに、ようやくそう思えた。カーテンを開いた。見たこともないような明るい世界が広がっていた。

 トイレを掃除した。床にコロコロをかけ、クイックルワイパーをかけ、除菌ウェットティッシュをふんだんに使い、隅々まで磨く。トイレの蓋も、蓋の裏も、便座も、便座の裏も、便器も、便器の裏も磨き上げた。便器は光沢を放った。なんだかそれは自由の女神像のようだった。それは何か良きものを象徴しているようだった。

 浴槽を掃除した。かけるだけで綺麗になるという泡スプレーをまんべんなく噴射し、何分か放置した後、スポンジで磨く。泡にまみれながら浴槽の壁を擦っていると汗が滲んだ。うまく力の入らない体勢になる箇所は何度も手を動かして擦る。最後にシャワーで泡を流すと、浴槽は陶器のように滑らかに白く、落ち着いて見えた。

 シャワーカーテンは、もう2年も使っているから変な色になっても仕方なかった。お気に入りの柄で、大きな緑色の葉っぱの中に、ピンクのフラミンゴが二羽立っている。捨てるには惜しいけれど、また新しいお気に入りをみつけようと思う。何か空を飛ぶものが描かれているのがいいと思う。宇宙飛行士や、パラシュートや、かわいいコウモリの柄がいいと思う。ぼくはそういうシャワーカーテンがほしいと思う。

 カーテンを開いた窓から、部屋に光が差し込む。その光はぼくの足を照らしている。懐かしい温かさを感じている。窓からは空が見え、空は青かった。ぼくは、この時の気持ちを言語化するべきではないと感じている。ある種の物事は、形を与えた瞬間こわれてしまう。温かなベッドの上で、世界が光沢を放つ様を見ていた。