本日の日記

 クロネコヤマトの配達が一向に届かない。
 午前8時~12時の時間帯指定をしたので、朝7時からずっと起きていた。
 そして11時30分頃には「これは時間内に来ないな」と悟った。
 来なかった。
 今日の天気は「ほぼ晴れ」らしい。
 iphone標準搭載の天気予報アプリにはそう書いてあった。
 ほぼ晴れなんてあるんだ。それならほぼ雨とか、ほぼ雪とかもあるんだろうか。
 ほぼ夕暮れ、ほぼ夕食、ほぼ幸福、ほぼ深夜、ほぼベッド、ほぼ人生。
 まあでも、完全なものなどないのかもしれぬ。
 相変わらずひょろひょろのカモミールに水をやった。それからカーテンを開けて、2年ぶりに窓を開けた。
 窓を開けるのが恐い。虫が入ってくるかもしれないし、家の前を大きな道路が通っているから、排気ガスが部屋に入るかもしれない。窓を開けることはリスクがとても多い。
 でも今日はほぼ晴れで、休日で、早朝で、いつもより気分が上向いていたから、窓を開けることが出来た。やはり空気は排気ガスくさかったけれど、それでも部屋の空気が動いているのが感じられた。
 カーテンを開けたり、窓を開けたり、そういう簡単なことなのだよな、と思う。そういう簡単なことが出来ない状態こそが良くない状態なわけだし、そういう簡単なことをしないことによって、良くない状態を招きやすくなるんだと思う。
 知らんけど。
 amazonの購入履歴を確認すると、注文した荷物は「配達中」になっている。
 12:36頃、配達済みになった。「郵便受けに配達しました」というステータス。きっと対面じゃないので少しくらい遅れてもいいやと思ったのだろうなあと悲しくなった。一体なんのための時間帯指定なのだ。もしぼくが荷物が来るのをとても楽しみにしている少年だったらきっとがっかりしただろうなと思うと余計に悲しくなったので、その想像はやめた。ぼくは少年ではないし、荷物が来るのをとても楽しみにしていたわけでもない。ただ配達員というか、社会の馬鹿らしさに辟易しているだけだ。
 郵便受けまで降りて荷物を取ってくる。
 部屋に戻り早速紙パケを引き裂いて中身を取り出す。
 手のひらサイズの中華産USB DACで、同軸と光の入力もついている。USBのみの使用が目的で買った。音楽再生装置はなるべく安価でそこそこ使えそうなもの、というコンセプトで集めている。「省スペースでステレオでBluetoothが使えて安価な商品」が最近ではそこそこあるような気がするけれど2年前はほんとにEDIFIERのステレオパワードBluetoothスピーカーしかなくて、これもまた中華産なので音質が最悪なのではないかと不安だったけれど普通に使えているし音はまあ低音が無駄にきつすぎる以外は普通だった。音質を求めるなら普通のスピーカーとアンプを買えばいいのだから使えれば及第点である。最近ではEDIFIERの「安価なBluetoothステレオスピーカー」という戦略が認められてきたのかヨドバシでEDIFIERの売り場が出来ていて驚いた。きっとオーディオの有名ブランドからも類似の方向性を持つスピーカーが出てくるだろう。Bluetoothスピーカーがモバイル専用のモノラルスピーカーだという印象はそろそろ覆されようとしているのかもしれない。とはいえ、ぼくのような人間はBluetoothの運用にも飽きて結局はもっと音質が改善されるかもしれないという期待を込めて「ステレオパワードBluetoothスピーカーの入力にRCAケーブルを差す」という逆行をする。音質は改善されたというよりも変化した。柔らかい音になったし、不自然な低音は改善された。しかし全体的な音の解像度は下がったように感じられ、音が分離していないような、やや団子になって聴こえる印象になった。音圧自体は上がって音が前に出てくるようになった。結局は好みだと思う。Bluetoothの音もそこまで悪くはなかったから、もっといい音を目指すならそもそもスピーカーを変えるところからだと考えている。それになんといっても、大きい音を出せる環境こそが最も重要だということを忘れてはならない。音楽は基本的に大きい音で聞けばなんでも良いものに聞こえるものなのだ。それはもう実際にそうなのだ。最近の音楽がコンプレッサーを全体的にばりばり効かせてなるべく大きい音で録音するのはそういう仕組みなのだ、って何かで読んだ。昔のCDってやたら音が遠いのとか、普通にありましたよね。たしかに小さい音で音楽を聴いても細かい音は聞き取れないし、音量の小さな音楽と音量の大きい音楽とでは、大きい方が良い曲に聴こえると思う。 
 これは、大きい声の人間の意見が通りやすいのと物凄く関係があると思う。
 
 家系ラーメン、終わったかもしれないな、と思った。
 たしかに流行っていたし、最初に食べた時はおいし~と思っていたけれど、どこで食べても同じ味だし濃すぎるし、うまいけどもっとうまいラーメンあるよなと思い始めた。そこでずっと言い続けているけれど中野ブロードウェイの艶まるである。九州らーめん、と銘打ってあるように九州のらーめんなんだろうけれど、これが九州博多らーめんじゃないところがポイントで、つまり九州福岡“長浜”らーめんの要素があるのではないか? ということ。豚骨ラーメンは濃厚だ、というイメージはおそらく博多豚骨から来ているのだろうけれど、長浜の豚骨は「ほぼお湯」であって、そのものすごく淡白・淡麗な地味だけれど芯のあるうま味のスープ、めちゃくちゃ美味いお湯、って感じのラーメンがすごいいいわけじゃん。こういう豚骨がもっと食べたいなと思うようになった。九州博多系ではなく九州長浜系のさっぱりお湯豚骨である。これは家系へのカウンターラーメンとしてぼくの中で大きくなりつつある。“濃厚”の時代はもう終わったのだ。これからは“なにも起こらないけれど面白い”という時代だ。『むらさきのスカートの女』の帯にそんなことが書いてあった。“何も起こらないのに面白いとTikTokで話題沸騰!”って。ああなんてかなしい帯だろう。“あなたは三回だまされる!”系の帯と同じくらいかなしくてださい。「やった! 三回もだまされるんだ!」って思う人が本当にいるのか? 「よーし! おれは騙されないように頑張るぞ~!」って思う人が本当にいるのか? でもそういう層にも読んでもらわないと本が売れないんだなとぼくはかなしい。芸能人の誰それが絶賛だのどこそこで話題沸騰だの最後に絶対驚愕するだの何賞を受賞だの絶対涙がどうのこうの、1万回くらい見たし、そんなのはもうむなしいから見たくない。一番好きなのはシンプルに原文を引用してあって、ジャンルを表すキーワードがちょこちょこっと書いてあるやつ。派手な惹句など不要ではないか。むなしいだけではないか。無理やり下駄を履かせられているようで、かなしいよ。ラーメンの話から帯の話になっていた。何故だ。
 
 うつくしいバナナを三本、スーパーで買った。
 ほんとうにうつくしいばななを。スーパーの果物売り場で。