さようなら

 またひとり抱きしめてしまった。

 ぼくはさようならが本当にむかつくほど嫌いです。だから人が死ぬ時、激怒していました。何年も続くくらいの、はげしい怒りです。死んだ人のさようならは、本当に、もう二度と会うことがないさようならでした。

 ぼくは死んだ人がかわいそうで、悲しくて、でもその人が大好きだったから、死んだ人を抱きしめたことがあって、死んだばかりの人はまだやわらかく、ほのかにあたたかかった。ぼくにとって、いちばんのさようならの挨拶は、その人を抱きしめることなのだろうと思う。死体にそうしたいと思うくらいなのだから。

 ぼくは、さようならの時、この人は抱きしめないといけないなと思ったら、抱きしめることにしています。今日、ぼくは退職をしました。職場で知り合った方と居酒屋で話して、ぼくは最後に彼を抱きしめることに成功しました。彼は、僕が両手を広げて近づくと「おう」と低い声でつぶやき、ためらった後、両手を広げて応えました。ぼくは、この時の相手のためらいが、そしてそのあとの一種のはじらいと、許容が好きです。この時の抱擁は、性別を超えた魂の触れ合いの感覚があり、つまり、生きていることの共有であり、つまり、さようならです。

 女の人にはグータッチします。性別って面倒ですね。

 ぼくに抱きしめられ慣れている人は、おう、またやるのか、みたいな顔します。そういうのもまたいいものです。大体の人は、やめろよ、なんて言いません。笑って、おう、と言います。ぼくは、そういうのが良いと思います。死んだ人は、ぼくが抱きしめても、何も言わないし、抱きしめ返したりもしません。ただ死んでいるだけです。

 ぼくはさようならの時、抱きしめたい人を抱きしめます。それはぼくにとって、1番のさようならだからです。