電車ロングライド

 食堂で朝食を頂いた。食パン2枚とティーバッグの紅茶のみ。昨日のホテルの豪勢な和洋バイキングと比較するとかなり見劣りするが、この粗末な餌の方が旅を感じる。旅は贅沢でない方がよい。

 部屋に帰って身支度をしていると、壁に大きな黒い点があり、よく見てみるとアダンソンハエトリだ。しかもかなり大きい。とても嬉しくなった。非アダーは触肢をわさわさ動かし元気そうだ。こんなに遠くまで来て旧知の友と出会ったかのような気持ちになる。ぼくはファーブルかなんかだろうか。ベッドに近づこうとするので人差し指で押し返したら、いつものように、もじもじしながら少しずつ離れて行った。

 昨晩は下関の閘門を見た。動きは見れなかった。それからシーモール付近の映画館で映画を観た。旅先で映画を観るのはとても楽しい。映画は岡田准一主演のヤクザ物で特に観たいわけではなかったにせよ、感じるところはあった。狂ったイケメンの舎弟がよかった。

 立ち食い蕎麦屋にふく天そばというのがあったので食べてみた。ふぐは白身魚の淡白な味がした。うまいものだ。歩きすぎて足の指に水膨れが出来た。足は全体的にかなり疲労しているし筋肉痛になりかけている。旅に出てから足が太くなったように思う。筋肉がついてきた。ここ数日で97kmほど歩いている。

 本日は電車ロングライドを実施する。早朝から昼過ぎまで6時間以上の乗車だ。うまく電車に乗れるだろうか。

 6:10 起床。

 6:30 餌。

 8:11 山陽本線 岩国行き乗車。4両編成。客は多い。

 11:15 岩国着。切符が料金分売ってなかったので駅員さんに精算してもらう。コンビニでサンドイッチ、チョココロネ、ポカリスウェット、ななチキなどを買う。駅へ直帰し読書しながら電車を待つ。

 11:58 山陽本線 長船行き。4両編成。客は多い。上りの電車は人が多い。電車に乗り過ぎて何も感想がない。旅の中で稲が倒れた田をいくつも見たが、どうしてそうなるのか調べたり、わけもなく擬態について調べたりする。擬態にはベーツ型、ミューラ型、ベッカム型がある事などを学ぶ。とても興味深い。動物や虫や魚の擬態はよく見かけるが、雑草イネの生き方も面白い。実際田んぼの中にひょろ長い稲に似た植物が顔を出しているのを何度か見かけた。

 14:46 三原を経由して尾道へ。尾道駅で切符の不足分を清算してもらおうと思ったけれど乗り越し機械で出来るからそれを使えと言われ、やってみたら出来た。またひとつ学ぶ。

 尾道。噂に違わぬよい町だ。山の斜面に住宅や寺が所狭しと建っていて、建造物の隙間を細い路地が続いている。迷路のようだし、異国のようでもあるし、影の多い街並みには神っぽい雰囲気もある。古寺巡りをする。f:id:sotokuro:20221011193348j:image

 寺社仏閣が連続して存在する。ものすごく観光地化されているわけでもなく落ち着く。

 17:00 民宿着。バスなしトイレなしの民宿を選んでみた。人んちだ。旅館の看板が出ていたので、入ってみるも誰も人がいない。声をかけても人が出てこない。人んちの玄関でしばらく立ち尽くし、外に出て本当に旅館か確かめていると客が入って、その時にようやく妙齢の女将が姿を現す。名前を告げ、朝食無しですね、と確認があったが朝食は予約している。朝食ありです、というと新しく朝食ありで認識してくれた。女将、びっしり予定の書き込んであるカレンダーで全てを管理している。ものすごくアナログでいい。案内します上ってください、とまくしたてられるままに階段を上ると尾道の町並みと同じように迷路のような構造だ。廊下は劣化した蛍光灯の青白い色でこれもまた尾道的だった。階段の目の前に上りの階段と下りの階段があり灯りのつけっぱなしの謎の部屋がありさらに奥へ進む短い廊下があり、と色々見ているうちに女将が共用風呂と共用トイレの場所をまくしたてる。風呂はユニットバスで狭いが必ず風呂に入れと言われる。臭いのだろうか? 必ず風呂に入ろうと思う。部屋は1番上の三階で、部屋の前には鍵のかかったベランダがあって朽ちた観葉植物が置いてあった。部屋は完全な和室で、ぼくの実家によく似ていた。敷かれてある布団に座り込んでなんとなく途方に暮れていると蚊が一匹飛んできて腕の血を吸おうとした。蚊は血を吸うことが出来なかった。

 言われた通り風呂に入る。人んちの風呂だ。欠けた固形石鹸や、よごれたコップなどが置いてある。人んちの風呂だ。体を洗って出る。風呂を訪れた段階で気づいていたけどバスタオルがない。脱衣所にもないし、部屋にもなかった。なんかたぶんそうなんだろうなと思ったいたので準備しておいた手拭いで体を拭いた。ぼくは手拭い一本で風呂のすべてを完結できるように日頃から訓練していた。

 夕食がないプランなので宿のすぐ外にある中華屋に入ると、完全に身内向けというか地元民向けの店で、常連と女将と大将が談笑していたがぼくが入った段階で静まり返った。めちゃくちゃ居ずらいパターンの店に来ちゃったなあと思った。とりあえず壁メニューからコスパ系であろうラーメンセットを注文する。そのうちに女将と常連らしきおばさんが「今度息子が一人で旅行行くんだって。一人で行ったって何も面白くないよねぇ」「私は絶対無理。一人なんて」「誰か話す人いないとねぇ」と話しはじめ、うわぁ〜これぼく言われてる? 言われてるやつ? と被害妄想が捗った。店の大将が定位置なのかぼくの隣の隣の席に座ってぴくりとも動かない。二重の圧である。そこそこの流れ者であると自負しているぼくだがメンタルは弱い。ここがゴールドラッシュの西部でぼくが筋金入りの流れ者ならバーでウイスキーの代わりにミルクが出てきて腰の拳銃で喧嘩を売ってくるならず者を撃ち殺すところだが現代日本なのでラーメンセットをかきこみさっさと店を出る。ラーメンセットは美味しかった。

 18:30ともなると歩いている人は誰も居なくなる。ひっそりとして、不気味だ。そしてぼくは不気味な場所が大好きだ。

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 明かりもほとんどない、深い夜ににんげんが生きている。求めているのはきっとこういう世界なんだろうと思う。影がもにょもにょと動いて移動した。目を凝らすと猫だ。彼らもまた夜の生き物だ。