今週のお題「カバンの中身」
男性の中には“鞄を持ち歩かない派”の人間がそれなりに存在している。
極端な例だと「男が鞄を持って歩くなんて信じられない。オカマかよって思っちゃう」と言った人もいた。手ぶらで歩くことを男らしさだと思い込んでいる人だった。
このアナクロな手ぶら主義者を仮にAさんと呼ぼう。
ぼくはAさんにこう聞かれたことがある。
「それ、なに入ってるの?」
Aさんはぼくのボストンバッグを指して言った。
「何も入ってないよ」
とぼくは答えた。
面白いものは特に入ってないよ、くらいの意味だ。
Aさんはしばらく考え、
「なんで鞄持ってるの?」と言った。
「鞄が好きだから」
とぼくは答えた。
ぼくは鞄が好きだ。色、形、素材、機能、価格、様々な鞄があり、見ているだけで飽きない。
ネットショップを巡りながら、この鞄を買ったらどんな便利なことがあるかな、と考えるだけでわくわくしてくる。
Aさんはまたしばらく考え込んだ。
Aさんは極端な思想を持っている人間だけれど、頭が固い人間ではない。
おそらく、ぼくに質問をした段階で、彼の中にはなんらかの仮説があったのだろう。
何日かが過ぎて、Aさんからメッセージが届いた。
「鞄を買ってみたよ」
手ぶら主義は辞めたらしい。
「どういう鞄を買ったの」と、鞄好きのぼくは聞いた。
「PUMAのリュックで、同僚の女の子に可愛いって言われちゃった」
他愛なくうれしそうだった。Aさんは、まあそういう人なんである。
「でもさ、鞄に何を入れたらいいのか全然わかんないんだよな」
と、Aさんは言う。
ぼくはしばらく考えた後、こう答えた。
「鞄には何も入っていなくていいんだよ。それは空白を持ち歩くってことなんだよ」
ぼくは、まあそういう人なんである。
鞄の中に何が入っているか。
折り畳み傘、モバイルバッテリー、財布、文庫本、エコバッグ、家の鍵。
いつも入っているのはそれくらいのもので、あとはすかすかである。
すかすかだから無駄なのかというと、そうではないと思う。
「何かを入れられるスペースを持っている」と、ぼくは考える。
そのスペースとは、すなわち可能性だった。
家の外で何かを得るかもしれないという可能性。
ぱんぱんに鞄に物が詰まっていたら、新しいものは何も入れられない。
「必要なもの」でずっしり重く膨らんだ鞄もよいのかもしれないけれど、ぼくは「新しいもの」が入る余裕を持ち歩きたい。