文豪の死

 考えるっていうのは疑似的な行動で、それだけで満足してしまうことがよくある。考えるのは楽しいけれど考えることで解決することはほとんどない。
 結局は体も心も動かしていかないと何も好転しないので、それなら考える時間なんていらないからさっさと何でもいいからやればいい。シンプルだ。筋肉以外の出力は人間に存在しないんだから。
 太宰が住んでいた家を見に行った。
 
 太宰が住んでいた家は、実は複数ある。
 ひとつは津軽の『斜陽館』でこれは生家。明治の旅館であり、若かりし太宰が生きていた金持ちの家。とても有名なので太宰が好きな人はみんな知っているだろうし重要文化財らしいのでそこそこ行く価値はあるのだろう。建物自体の古さや歴史っぽい香りが面白くて人があんまりいないところも好きだけれど、斜陽館にはひとつものすごく重大な欠陥というか喪失というか欠損がある。ぼくは太宰が好きだから何回か行ったことがあるので知っている。もし太宰が好きだという人が斜陽館に行こうとする時、この文章を読むかもしれないから、ぼくが気づいた重大な欠陥をちゃんと書いておきたいと思う。これを書くのは正直、気が進まない。気が重い。悲しくなる。でも書いておこう。
 斜陽館に太宰はいない。
 
 死んどんねん、あとかたもなく。
 ぼくは思い込みバイアスが人より強いのではないかと思うけれど太宰が生きているような感じがずっとしている。太宰だけではなく身近な人が死んでも生きているような感じがずっとしている。ぼく自身が死んでも生きているような感じがしているのではないかと思う。
 死んだ人が生きていた証拠を見た時に感じるのは生きていた頃の影ではなくはっきりした死の喪失だった。ぼくの中で生きているそれぞれと死の輪郭との乖離の激しさに眩暈がして吐き気がしてくる。
「死んでるっ!」って思う。何回も何度でも「うわっ、死んでる……!」って思う。そのたびにショックを受けるのだけれど、でもそうやって死を確認しないとぼくはその人が死んでいるという事実をすらすぐに忘却してしまう。それは正しくないことのように思う。死んでいるものは死んでいるものとして受け止めたいのにぼくの中で彼らは不死身のゾンビで何度でも再生しぼくに話しかける笑いかける。
 あなたの中で生き続ける、などという言葉は希望でもなんでもなく、呪いだ。
 ぼくの中でも死んでくれ。
 死んでるのに笑顔で話しかけないでくれ。
 
 ああ、死んでるのか、悲しいな、寂しいな、と思うためにぼくは太宰の家に行くのかもしれないな。墓参りとかに行くのかもしれない。写真とかを眺めてちょっと思い出してみたりするのかもしれない。そうやって他者の死を確認するたびにまるでぼくがその人をいちいち殺しているように感じることがある。心の中の不死身のゾンビになってしまった彼らの首を斧とかでぶった斬って回っているような感じがする。それをしないとぼくはいつまでも会いたいと思ってしまう。どこかにいるんじゃないかと思ってしまう。そういう風に思っている時、ぼくもたぶん半分くらい死んでるんじゃないかと思う。
 
 山梨は甲府にも太宰の家があった。二回目の結婚をしたあたりの太宰の家だ。一度訪れたことがある。家はもうなくなっていて石碑がぽつんと建っているだけの場所だった。「ふふっ、死んでるな」とぼくは思う。もはや何もない。墓ですらなく、空気になって、ただ文字だけが岩に刻まれて誰にも顧みられることなく、ただぼくのような気の狂ったやつが死を確認しに来るだけの場所になっている。あまりにも虚無。まったき無。人が住んでいた家なんてほんの少しもありがたくないし家が文学をしていたわけでもないのになぜ石碑まで立ってしまうのかとか思う。なんの意味があるというのか。なにを訴えかけているというのか。太宰が暮らしていた時代からもう随分変わってしまっているから、そこに太宰が生きていた環境があるというわけでさえない。一体ぼくはここに何をしに来たんだ、と思って虚しくなって早々に立ち去った。死んでいる、死んでいる、とぼくは思った。そうか、みんな死んでいるのか。
 
 東京の荻窪にも太宰の家があった。薬物中毒になっていた頃の太宰の家だ。今日はじめて行ったんだけれど、普通の住宅街の真っただ中の、とある公共施設の駐輪場の片隅に目立たない案内板があり、そこに碧雲荘跡の案内があった。もちろん家の名残というものもない。何もない。目の前には公共施設が建っていて無機質な窓がこちらを見つめているだけだった。碧雲荘は大分県に移設してあり、そちらに建物があるらしかった。まったく意味がわからないと思った。住んでいた場所と住んでいた建物とに価値を分散させることになんの意味が。暮らしていたという生活があったというそこに意味があるのではないかと思った。もはやなんでもありなのだ。死んでいる者の生きていた証拠などというものはここまで適当に扱われるものなのだ。もうこの家とか遺品とかを管理している人たちはなんでもいいんだろうなと思った。古代遺跡が暴かれて盗品があちこちに売りさばかれるのと原理的には一緒だ。太宰の死体は、生活は断片に切り刻まれて売り払われ、権利とか管理とかの面倒くささの象徴として、誰にも理解されずに朽ちていく。それが死ということ。案内板には「文学資料は公共施設四階に展示してあります」とすごく小さい字で書いてあった。まだ何かあるのかと思い、公共施設に入った。自立支援がどうのこうのとか生活支援がどうのこうのという建物だ。なんでこんなところに資料があるのかよくわからなかったが、とりあえず四階にエレベーターで向かう。ドアが開くと目の前に何かの相談所があって右手に受付がありおばさんが二人制服を着て座っていて、その横の廊下に連なってぶらさがっているプラカードを探しても資料室らしきものはない。ただの役場だ。恥を忍んで受付のおばさんに「あのう、太宰の資料ってどこですか?」と聞いてみると、おばさんは一瞬真顔になり、「ああ! すみません、これなんです」と言って、相談所の前のガラスケースを指さした。ガラスケースの中にはおざなりなプラ板に読ませる気のない細かい字の文章、それから床に「お櫃」などの展示があり、ぼくは真剣に泣きそうになった。顔が真っ赤になった。すこし怒ってもいた。ぼくのすぐ横に座っているおばさん二人は神妙にしてうつむいていた。ぼくは頭を抱えたくなった。ふざけるなよと思った。今までで一番ひどい。とてもひどい。この場所に来る人は太宰の資料なんて絶対に見ない。ぼくのような気が狂ったやつでさえこの場所に来ることは本当に稀だろうと思う。「捨てられないから置いてるだけ」の資料だ。この人たちにとっては置き場所に困るゴミなんだ。これが死だ。これが死ぬってことだぞと思った。ぼくは逃げるように階段を降りた。「すみません、これなんです」の声が頭の中に木霊していた。みじめな気持ちになった。こんなことのために、あんたは頑張ったのかよ。
 
 文豪は死んだ。
 彼らの遺した作品にのみ価値がある。教えてくれる。楽しませてくれる。その作品は生き続ける。
 それ以外は、もう完全に死んで分解されている。死体も生活も生きていた痕跡はすべて、処分の難しい産業廃棄物みたいになってあちこちに散らばり、腐臭を放っている。
 生きているとか死んでいるとか、そんなことには意味がないんだろう。
 それでもぼくはやっぱり悔しい。
“夜の次には朝が来る”のだとしても。

 

「命あらばまた他日。
 元気で行こう。
 絶望するな。
 では、失敬。」