名曲喫茶というものに行ってきました。
はじめてのことです。いえ、二度目でした。
本当のはじめての時には、ほんの30秒ほどで店を出てしまったのですね。
ですので実質、はじめてと言えるでしょう。
名曲喫茶は渋谷の道玄坂の、目立たない路地に入って、さらにずっと奥の、怪しげなお兄さん方がにやにやしながら道端に立っていたり、そろそろ歴史的建造物に認定されそうなストリップ劇場が建っていたり、看板の腐り落ちたシティーホテルが建っていたりする、そんなハードボイルドなところにあります。
そんなハードボイルドなところにある喫茶店ですが、中に入ってみると、渋谷で一番治安がいいのではないかと思われるほど、しずかです。いえ、静かではありません。店内には大きな音で、クラシックミュージックが流れています。
クラシックミュージックだけが、その店内を満たしております。
クラシックミュージック以外の音は、存在してはならないのです。
人の気配や、心臓の鼓動や、呼吸や熱や、そんな生の騒がしささえも、存在しないのです。
ゆえに店内は、生命のみなぎる森が静かであるのと同じように、しずかなのです。
名曲喫茶は、クラシック音楽を聴くための喫茶店です。
ですので、会話禁止、電話での通話禁止、撮影禁止など、様々なルールがあります。
会話禁止であることは喫茶店に入った瞬間に、ウェイトレスさんが説明してくださります。
その条件を受け入れた方だけが、あたたかなコーヒーを飲みながらクラシック音楽鑑賞をすることが許されるのです。
といってルールばかり書いてしまったので敷居が高い感じになってしまいましたが全然そういうわけではなく静かに出来る大人にはむしろすばらしい喫茶店なのでした。
私の好きな映画『イノセンス』のような。
静かな場所を愛しております。
都内で一番静かなのは、東京高等裁判所の待合室です。
分厚いコンクリートの箱に閉じ込められたような、本来的な静けさがそこにはあります。
しかしながら、その静けさというものは、逆説的にとても騒がしい場所でもあります。
なぜなら、自らが発する音が際立ってしまうからです。
まったくの無音空間では、心臓の鼓動や、呼吸や熱や、様々な思考や思い出が、私が生きている事実自体が、騒がしいほどに主張してまいります。
無音をアンプで増幅した時の、無音の音圧に対する生理的な恐怖のようなものさえ感じます。
名曲喫茶は音楽がかかっているので、自分自身の発する生命の物音が気になりません。
それは静けさの中でも、自然な、おちついた静けさなのです。
名曲喫茶は古い建物で、内装も古めかしいのですが、その古さは重厚でした。
硬く重い木のダークブラウンが室内の基調を成しており、瀟洒なランプは深いオレンジ。
すべてのテーブルは人の背の高さほどもある巨大なスピーカーに向けられ、まるで教会のようでもあります。
椅子は真っ赤な布張りで、正面の棚には無数のレコードとCDが並んでいます。
お客さんは少なく年配の方ばかりで、ウェイトレスさんもウェイターさんもシックな黒い服を着て落ち着いています。
曲と曲の合間に短いアナウンスがあり、これからかける音楽のタイトルや作曲者、指揮者のことを教えてくれます。
品のあるレトロ空間です。
私は鞄から文庫本を取り出して本を読みました。
すると不思議なことに、まるで何年も前からこの店に通っているかのような、素敵な気持ちになってきました。
それはこの時が止まったような喫茶店が見ている夢の断片なのかもしれません。