人生の速度

 後輩から連絡があった。
 彼を仮に尾妻さんと呼ぶことにする。
 尾妻さんは非常に面白い人間である。発想が面白く、また行動が面白く、性格も面白い。
 そして何より、彼の人生が面白い。
 
 尾妻さんとは5年ほど前に初めて会い、2年ほど一緒に働いた。
 尾妻さんはすぐに転職していった。彼は速度の人であった。あらゆるライフサイクルがとても速い。
 喋りも速い。仕事も速い。飯も速い。やりたいと思ったことは迷わず行動に移す。日々を凄まじい気迫で生きている。とことん陽キャである。
 無気力なぼくとは正反対の人である。ぼくは何もかも遅い。人が1年でやることを10年かけてやる。しかもいつも考え込んでおり、あまり物も言わず、地蔵的である。
 そんなぼくと尾妻さんは、とても仲がよい。
 なぜだろう。正反対の性格とか、速度の違いとか、そういうものは、人を好きになるかどうかとは関係がないということなのだろう。
 
 尾妻さんが入社して来た時、彼はまだ21とか22とか、そのくらいの年齢だった。ほとんど大学生である。ぼくから見れば子供のような顔つきで、少年のようだった。
 彼と話してみると、年齢の割にしっかりしていることがすぐに分かった。考え方がしっかりしているというわけではなく、意識レベルが常に高水準で覚醒しており、自分の意見を持っていて、社会の荒波に充分耐えてきた痕跡のある礼儀を有していた。ぼくは礼儀を重んじる人間である。なぜなら礼儀というものがなければ人間は動物と変わらない存在だからであり、礼儀というものは自分が敵ではないということを相手に知らせる一番手軽な手段だからだ。そして礼儀というものはお勉強しただけでは身につかない。社会の中で磨かれることによってようやく本物の礼儀を身につけるものが出来るものであり、それを学ぶことができない人間は生涯学ぶことが出来ないというほど、身に着つけることが難しいものでもある。若いうちにそれを叩き込まれた痕跡があるということは、これは彼にとって大変有意義であることだとぼくは思った。
 
 尾妻さんはすぐに職場に馴染んだ。人に馴れている。愛嬌もある。いつも明るく、おしゃべりも達者である。仕事でミスをすることはそれなりに多かったけれどそんなものは正直どうでもいい。ミスは誰でもする。それくらいで人を嫌いになることなんてない。挨拶をしないほうがよっぽど嫌われる。そして尾妻さんはしっかり挨拶ができる。ありがとうもすみませんも言える。分からないことがあればすぐ人に聞ける。それは対人関係の基本にして奥義である。この基本も、出来ない人は生涯できない。21でそれを学び終えている人間をぼくは立派だと思う。磨かれてきた人だな、と思う。甘やかされてきたらそうはならない。
 
 尾妻さんはハーフである。アジア系のお母さんと日本人のお父さんがいる。
 尾妻さんはお父さんの借金を勝手に背負わされていた。多額の借金を尾妻さんが支払わなくてはならなかった。尾妻さんのお父さんは尾妻さんの給料を盗むこともあった。尾妻さんは「俺は親父が死んだら親父の骨を粉末にして砂時計にしたいです」と言った。ぼくは大変笑った。素敵な発想だと思った。ちょっと文学的でさえあった。尾妻さんは小説なんか読まない。でも独特の言語感覚を持っていた。ぼくは尾妻さんが書いた文章を読んでみたいと何度も思った。でも尾妻さんは文章なんか書かない。それでいいと思う。尾妻さんは文章に興味が全くない。
 
 尾妻さんは当初、実家で暮らしていた。そろそろ俺は一人暮らしをしたいんです、と彼は言った。ぼくはぜひやってみたらいいと勧めた。ぼくはその頃ルームシェアをして生活していたから、一人暮らしをしたら何をしたいかについて尾妻さんとよく話し合った。尾妻さんは全裸で叫びながら走り回りたいと言った。尾妻さんはぼくに相談してくれた三カ月後には部屋を決めて一人暮らしを始めた。一人暮らしを始めたと思ったら彼女と同棲を始めた。同棲を始めたと思ったらもう結婚していた。結婚したと思ったら会社を退職していった。もっと稼げる場所で働くことにしました、と彼は言った。すさまじい行動力と突破力。圧倒的な人生の速度。いつかまた会おうと約束した。
 
 また会おうと約束をしてから半年後に会うと、彼はマイホームを買っていた。子供がひとり生まれる予定です、と言った。新しい会社の入社試験ではカンニングして合格しましたと笑っていた。髪型がもこもこのパーマになっていた。一体何がそこまで彼を加速させているのか、ぼくにはよくわからない。ただ彼が行動を続けていることがぼくにはうれしかった。彼が圧倒的速度であらゆるライフステージを駆け抜けていく様は爽快だった。尾妻さんが失速する時、それはきっととても重大な岐路に立つことなのだろうとぼくは思う。彼は泳がないと死ぬ魚のように進み続ける。だからこんな言い方は変かもしれないけれど尾妻さんは早死にするだろうとぼくは思う。そうなったらとても尾妻さんらしいと思う。ぼくがそう言ったら尾妻さんはたぶん、分かってくれると思う。
 
 更に一年が経った。尾妻さんは痛風になっていた。鎮痛剤を飲みながらぼくと酒を飲むことにしたらしかった。また一人子供が生まれます、と彼は言った。車も買いました、と彼は言った。前の会社は辞めて違う会社にいます、と彼は笑った。最近は筋トレとバー通いが趣味で、でもアニメも観てます。と彼は言った。相変わらずすごい速度で生きてるなあとぼくが言うと、火の車です、と彼は言った。ぼくたちは以前のように秋葉原の町中をぶらぶらした。歩行者天国の中央通りを、高い空の下、ビルに囲まれた大通りをたくさんの人が歩いていた。ぼくと尾妻さんは道のど真ん中をずいずい歩いた。歩きながらぼくはボディバッグから酒の瓶を出して飲み始めた。尾妻さんは「やっぱりそうですよね。外黒さんは飲んでると思ってました」と言って笑った。ぼくの速度は遅い。牛歩のような人生だ。でもたぶん、圧縮されすぎて尾妻さんと同じくらい早く死ぬと思う。
 
 ぼくと尾妻さんは居酒屋で酒を飲む。尾妻さんは近所のバーで鍛えたおかげでどんな酒でも飲めるようになっている。もう大人の顔つきになっている。ぼくと尾妻さんはアニソンがかかっているクラブに行く。真っ暗なクラブで尾妻さんは椅子に座ってふんぞり返ってステージを見ていた。尾妻さんはカメラマンに話しかけ、早速仲良くなった。カメラマンはぼくと尾妻さんの写真を撮って親指を立てて笑った。尾妻さんは椅子に座ったまま叫んだり歌ったりし始めた。前に行かなくてもいいのかと聞くと「座っていたいので」と答えた。ぼくは尾妻さんの横で変な踊りを踊っていた。ぼくはバーカウンターでジントニックを4杯頼んだ。尾妻さんは1杯しか頼まなかった。尾妻さんはクラブで飲む酒に価値を感じなかった。それは尾妻さんらしくてよいことだと思った。お別れの時間が迫っていた。尾妻さんの家には家族が待っている。かわいい奥さんと幼児と、あたらしく生を受ける子供が待っている。そろそろ行こうかと尾妻さんに提案すると、そうですね、と彼は言った。クラブの外に出ると空気が冷たく締まって気持ちが良かった。ああ時間が足りないですね、もっとずっとこうしていたかったな! と尾妻さんは言った。また会いましょうね、尾妻さんは言った。でもぼくは、クラブには二度と行かないと思います、と尾妻さんは言った。ぼくは笑ってしまった。尾妻さんは、尾妻さんらしさから外れない。自由であることが、すなわち彼そのものだ。ぼくはそういう彼の行動に、速度に、価値観に、敬意を払う。ぼくたちはまた会うだろうと思う。それをしたいと思えば、ぼくたちはそれをするのだ。彼は思い立った瞬間に、ぼくはじっくり考えた末に、それぞれの速度で、人生を生きている。