運命

 ヘルメットが大きい。大きすぎる。バスケットボールよりほんの少し大きいくらいの大きさ。人間の頭くらいの大きさ、であることは自明だから、生首くらいの大きさ。生首は大きい。ぼくはそのことをあまり理解していなかった。生首というものは、非常に扱いが難しい大きさだ。ぼくがもっているどんな鞄にもこれが入らなかった。登山リュックにも入らないし、大きいトートバッグにも入らない。スーパーの袋にも入らない。かといって生首を生のまま持ち歩くのは変だし、邪魔である。ヘルメットはつるつるに出来ており、持ち手がついているわけではないから、持って歩くのが面倒だし、前述の通り大きい。電車に乗る時も邪魔だし、かといって被って歩いていれば変人である。法的には問題ないのかもしれないが、公序良俗に反する。何か闘争的なことを繰り広げそうな感じがするし、もしくは病的に防御的な人間に見られるかもしれない。このような印象を周囲に与えるようでは、身を守る道具として本末転倒である。身を守る道具を身に着けて歩いているばかりに、攻撃的な視線を向けられるかもしれない。それではよくない。生首が入りそうな袋がないか、部屋中をひっくり返して探しているうちに、ついにみつけた。ずっと前に買った戌神ころねの誕生日グッズの巨大トートバッグだ。ぼくはその中にオタクグッズを詰めて玄関の横にずっと放置していた。グッズを並べるスペースが部屋の中にもう無くなってしまったので、この巨大なトートバッグの中にぽんぽん入れて放置していたのだ。そのため戌神トートは魔窟のような有様になっていた。フィギュアとかキーホルダーとかスチームアイロンとかクリアファイルなどがごちゃごちゃにあふれていた。ぼくは気合を入れて中身を床にすべてぶちまけた。そしてヘルメットを戌神トートに入れてみると、まさに生首ひとつ分、きっちりと収まる大きさだった。おそらくこのトートバッグは生首を収納するためにデザインされたのだろう。どんな大きな鞄にも入らなかった生首がちょうど入るのだからそうに違いない。ぼくはようやくヘルメット入れをみつけたけれど、問題がひとつあり、それは戌神トートバッグに、かわいい絵が描いてあるということである。ぼくはヘルメットでぱんぱんになったトートバッグの表面のかわいい絵を見て眉間を抑えた。それから少しふて寝した。これしかないんだ、と全世界に言い訳したい気持ちになった。これしかないんだ、ヘルメットが入る鞄は、これしかないから使っているのだ。ぼくの趣味で使っているわけではないのだ。本当にこれしかないから使うのだ。見る人が見ればひとめで「あっ、戌神ころねの誕生日グッズだ!」とわかるデザインであることは疑いがないし、それでなくともパステルカラーの黄色と青とピンクの迷彩柄に犬が二匹舌を出している絵という派手でかわいいデザインになっていて目立つが、断じてぼくの趣味ではないのだ、と言いたい気持ちになった。ぼくはたしかに戌神ころねのファンである。それは間違いないのだが、しかしそれを全世界に発信したいという気持ちは微塵もない。むしろ隠したい。なぜ隠したいのかは自分ではよくわからないけれど、つまり心のやわらかい部分であるということだから、ぼくはそれを守ろうとしているのではないだろうか。だから戌神トートバッグを使用することは歩く恥部ということだ。ぼくは深く苦悩した。胃が痛くなってきた。窓際で遠くを見ながらエレキタバコを吸った。そして紅茶を淹れてホラー映画を見た。ホラー映画は最後ギャグになって面白かった。昔の人達は生首をどうやって持ち歩いていたのだろう、と思った。馬の鞍にしばっておいたのだろうか。昔の人たちは馬に乗っていたけれど馬って免許が必要なのだろうか。現在の法律では馬は軽車両の扱いになるそうだ。とても面白い。馬で車道を走ってもよいということになるわけだ。だとしたらもうみんな馬に乗ればいい。エコだし。でも世界は馬糞だらけになってしまう。排気ガスをまきちらし化石燃料を使い果たすのと、世界中が馬糞だらけになるのと、どっちがいいんだろう。ぼくにはそんな難しいことはわからない。生首の扱いにすら困る始末だ。いや、そうではない。問題は戌神トートバッグがかわいすぎるということだ。でもぼくにはこの鞄しかないから、ぼくはやはりこのポップの極みのようなバッグを持って教習所に向かうことだろう。人生には色々な事が起きるものだ。ただのオタクグッズだった戌神トートバッグがこんなところで役に立つとは、まさか神でさえも予想しなかったに違いない。運命というものは誰にもわからないものなのだ。伏線はわからないように張られているものなのだ。わからないといえば、教習の受け方がわからない。何をどうするんだったかまるで覚えていない。ぼくは今から教習所のガイドブックを丹念に読み込まなければならない。しかし、あるいは、何もわからないまま教習所に行くのかもしれない。そっちの方が面白いのかもしれない。床に散乱したオタクグッズを曇りなき眼で見つめながら、ぼくは頭の中の草原をバイクで走っている。たくさんの人間が道の脇に立っている。かつてどこかで会った人達、通り過ぎていく人達。ぼくはぼくに接続されたままの生首を持って、どこへ向かっているのか。