1ミリも適性がない

 才能というものは、努力でどうなるものでもないのだろう、って思う。
 魚は空を飛ばないし、鳥は土に潜らない。
 持って生まれたものは、基本的に変わらないんじゃないかなあ、って思う。
 魚は泳げばよいし、鳥は空を飛べばよい。
 自分が何者なのかを知ることは、つまり才能を知ることである、って思う。
 魚なのかな、鳥なのかな。
 そういう比喩的なことはもういいか。
 端的に言ってぼくには運転の適性が1ミリもなかった。
 
 今日は教習所に入所してからはじめての技能教習だった。
 ぼくは緊張していた。そしてわくわくしていて楽しみだった。だってバイクに乗れる。バイクを運転していいんだから楽しみで当然だ。昨晩は遅くまでどんなバイクを買おうか悩み過ぎて眠れなかったほどだ。寝たけど。
 オタクなトートバッグにくそでかいヘルメットを入れて電車に乗り教習所に向かった。くそでかバッグを持っていてもぼくに注目している人は全然いなかった。ただの自意識過剰だった。それは良い結果だった。
 教習所に入ってまず「乗車券」というものを手に入れなければならないのだがぼくにはその券を発券する機械をみつけることが出来なかったのでお姉さんに聞いた。お姉さんは割と真顔で丁寧に機械の位置を教えてくれ、乗車券を出したら原簿というものを貰いに来いと教えてくれ、さらにライダーのための待合ルームの位置までしっかり教えてくれた。割と真顔で。ぼくは作った笑顔よりも割と真顔の人の方が好きだなと思った。接客のための訓練された笑顔はいつも目が死んでいてぼくはとても見ていられない気持ちになるからだ。
 ぼくはお姉さんの言いつけの通り乗車券を発券し、ロビーでぼうっとし、時間が来たら原簿を貰いに行き、そしてライダールームに向かった。ライダールームにはざっくばらんに椅子が置いてあって、体中にプロテクターをつけた人たちが暇そうにしていた。ぼくはおろおろした。誰か先生的な人がいたらどうすればいいのか、「何をしてもいいのか」を聞こうと思っていたのだけれどそんな人はひとりもいなかった。ぼくはロッカーの前に突っ立ってガイドブックをめくった。
「必ずプロテクターを着用しましょう」と書いてあった。しかしプロテクターというのがどこにあるのかわからなかった。棚に肘膝用のパッドがたくさんあったのでとりあえずそれをつけた。それから外に出てみるとゼッケンとプロテクターがたくさんつるしてある場所があったので、とりあえず周囲の人の見よう見まねでつけてみた。何もわからないけれどガイドブックにはプロテクターをつけようと書いてあるのでつけたのである。教師的な人が来たらきちんと説明を聞こうと思った。
 ぼくは全身を適当なプロテクターで覆ってライダールームで待った。しばらくすると教師陣がどやどややって来て「はじめての人集合!」と言った。引き締まった細身のインストラクターだった。そのインストラクターのもとにはぼくを含めて五人ほどが集まった。そしてプロテクターをつけているのはぼくだけだった。非常に複雑な気持ちになった。こういうところなのだ。これがぼくなのだ。ぼくは正しい。しかし何かずれている。ぼくは説明される前から正解している。しかしその正解は正しくない。本当の正解は「インストラクターが来るまで何もせずに椅子に座っている」だった。わからない、どうしたらその正解にたどり着けるのかぼくにはわからない。ライダールームにいる人の大半はプロテクターを着けていたし、ガイドブックにはプロテクターを着けよう! と書いてあるのに、それでも何もせずにただインストラクターを待つことなんてぼくには恐ろしくてできない。その正解は、どこにも書いてないし、誰も教えてくれなかったし、周りの人とも違っているのに、どうして何もせずに待つことが出来たのか、ぼくにはまったくわからない。しかし、それでも、ぼく以外の4人はきちんと正解した。ただ誰かが指示してくれるということを信じて待つことが出来ていた。彼らにはそれが出来るのだ。彼らにはぼくには見えていない何かが見えているのだ。そしてぼくもまた彼らには見えないものが見えている。インストラクターのおじさんがぼく以外の4人にプロテクターの付け方を説明している間、ぼくはなんとなく恥ずかしかった。
 みんながプロテクターと肘膝パッドをつけ終わったあと、ついに教習コースに出た。でかいバイクがたくさん並んでいた。CB400SFだ。かっこいいのでぼくはにこにこした。これからこのバイクに触っていいんだと思うとわくわくした。おじさんはいきなりバイクを倒した。はじめの勉強は、バイクの起こし方からだった。スキーで初めに習うのは転び方だ、という話がぼくは好きだけれど、バイクのはじめが起こし方だというのも好きだと思う。柔道は受け身からだったかもしれない。ぼくはその考え方が好きだ。本当の本当の基礎は「出来なさ」から始まるんだと思う。「失敗」から始まるんだと思う。正しい間違い方からはじめようぜ、とぼくは思う。世の中いきなり上手くなる方法ばかりじゃないかなと思う。たとえば「文章がめきめき上手くなる本」とか、そういうことの前に「書けなさ」から始めようよ。書けなくなった時どうすればいいのか、転び方から、起こし方から、受け身から始めようよ、と思う。それが基礎ってやつではないのか。
 バイクを押して歩いた。とても重かった。スペックを調べてみたら200kgくらいある。でもみんな上手に押して歩いた。図書委員でした、という感じの眼鏡の女性もいたけれどぐんぐん押して歩いていた。ここにいる人たちはどうしてバイクの免許を取ろうと思ったんだろう、とぼくは考えていた。ぼくも含めて、言い方は非常に悪いが、みんな陰キャという感じの人ばかりだった。とてもバイクに乗るような人達には見えないような人ばかり集まっていた。もしかしたら、そういう人だからこそバイクに乗ろうと思うのかなって考えたりもした。バイクってすごくひとりだ。
 バイクの乗り方と降り方を学んだあと、エンジンをかけて半クラで進む練習をした。ぼくはうれしくてたのしくて仕方なかった。スピードなんて全然出てないし転びそうで怖いしうまく半クラできない時もあったけど、それでも200kgの鉄の塊の振動や唸りにまたがって進むだけでなぜこんなにも楽しいのか。自動車とは全然違う。野蛮で不完全で快適じゃなくて危険で、ぼくはバイクをとてもあほらしい乗り物だと思うんだけれど、その全部が面白さに繋がっている。バイクは単純に面白いものであって、それ以外ではないと思う。ジェットコースターと同じようなものだと思う。ただ面白いものであると思う。そうでなければぼくは車に乗る。
 そのあとは小さいサーキットみたいなコースで1速から2速にギアチェンジする練習をしたりした。とても面白かった。「腕が疲れたでしょ」とインストラクターのおじさんが話しかけてくれたので「でも楽しいです!」と小学生みたいなリアクションをしてしまった。楽しすぎてずっと笑顔だった。教習所というのは真面目な場所であって楽しんでいいのかよくわからなかったけれどぼくは楽しすぎてだめだった。大人になってからバイクに乗ってよかったと思う。20代で免許を取ったらぼくは死んでいたと思う。初心者仲間達はみんな20代くらいで、おそらくぼくが最年長だった。ぼくは人の3倍くらい行動が遅い。魚は空を飛ばない。
 最後に広いコースの外周を一列になってちんたらバイクルーム前まで走行した。そこで解散となった。バイクルームに戻って、インストラクターが一言メモを書いてくれたガイドブックを返してもらった。ページの間に紙が挟まっていたので、見てみると運転適性検査の結果だった。ぼくの運転適性度は5点満点中1点だった。安全運転度は5段階評価でDだった。笑った。ぼくは普通に免許をとれると思う。でもバイクを買うのはやめようと本気で思った。ぜんぜんまったくこれっぽっちも運転に適性がない。総合診断には以下のような文言が記されている。
“神経質でいろいろなことが気になって、考えたり悩んだりすることが多いようです。しかし、そのような自分を見せたがらず無理して社交的にふるまおうとしています。ありのままの自分をだしましょう。また一面、あなたは融通のきかないきまじめな方で、デリケートな神経の持ち主です。人づきあいをあまり好まず、そのため、人の気持ちをうまく察することが不得手なようです”
 これはごく一部であって、さらに3倍くらいの文量で「お前はバイクに乗るな」とあらゆる表現で書いてある。全部身に覚えのあるようなことなので当たってるなあと思う。何度か書いているけれどぼくは車を運転していて山の中で横転事故を起こしてひとりで勝手に死にかけた実績がある。割れた窓から這い出して真っ暗な夜の山道でひっくり返っている車をぼうっと見ていた。携帯の電波も届かない山奥だった。奇跡のようなタイミングでパトカーが通りかかって、無線で両親に連絡してくれて、そして家族全員が迎えにきてくれて、あの時お父さんはめちゃくちゃ酔っぱらっていて警官にハイテンションで話しかけていた。生きてて良かったなあわっはっはという家族だった。バイクに乗ったら今度こそやっぱり大人になってもぼくは死ぬんだろう。これがありのままのぼくだ。というかブログでのぼくはかなりありのままのぼくだと思うんだけれど、そうでもないんだろうか。ぼくはめちゃくちゃ考え込むしめちゃくちゃ悩むし人が聞こえないくらい小さな音にも気がつくし神経質だし不眠症で対人恐怖症だし異食恐怖もあるし、それでもいつもぎりぎり生き残って大人になったからそれをわりと誇りに思ってて、それは結構書いてきたつもりだけれど、周りの人間にもどんどんそういうことを言っていくべきなのかもしれないなあと思う。
 バイクの免許はとる。でもバイクは買わないだろう。そうしたら、次は何をしようかな。って、もう次の考え事は始まっている。