前を見て走れ

 
「外黒さん顔上げて! 前見て!」
 タコメーター見ないとエンジンの回転数がわからないんですけど!?
「音で覚えて! あと震動!」
 考えるな、感じろ。レベルの技術を教習所ですでに要求されている。達人の域ではないのか。なんのためにメーターがついているのかもはや分からない。しかし、バイクというのはそういうものらしい。とても不完全で感覚的な乗り物だ。人馬一体のフィーリングとか、よく雑誌で見かけたりするけれど、それは「気持ちよさの表現」ですらなく、もはやライダーの必須スキルのようだ。人馬一体感がないとそもそも運転できないんだから。バイクは機械だけれど、そういうところはやっぱり鉄馬の感じがする。このバイクが何を考えていて、どういう状態なのかを人間が察知してあげないといけない。バイクがしたくないことをさせようとすると、転んだり事故を起こしたりするんだと思う。
 今日は教習所で加減速、スラロームとクランクと八の字と一本橋を練習した。ぼくの運転適性度は5段階中最低の1だけれど、どちらの科目も合格をもらえた。ぼくなら出来るだろうな、と思っていた。免許は普通にとれると思う。なぜならぼくは機械を操作するのが好きだからだ。運転適性度というのは、機械操作レベルとは違うものだと解釈している。ぼくは機械の操作は普通に出来るけれど、「町の中を走行すること」に関してはくずだよ、と運転適性度は言っているんだと思う。町の中の走行は、教習所の5倍くらい危険があり、その危険を察知したり回避したりする才能が必要になり、そういう才能・適性がぼくにはないんである。それは無い、とぼく自身も思っている。
 今日の科目で一緒だった眼鏡の男性は「10年間事務職をやっておりました」といった感じの、とてもおとなしそうな方だった。前も書いたけれど、なぜだかバイク免許を取ろうとする人にはそういう感じの方が多い。ぼくも含めて陰キャばかりだ。なぜだろう。ひとりひとり話しかけたくなるのをぐっとこらえている。眼鏡氏は加減速の科目で、ギアチェンジが上手く出来ずに苦労していた。急加速から急停止した時、ブレーキが強すぎてエンストして転んでしまった。ぼくははじめてバイクで転ぶ人を見た。おっかないな、と思うと同時に、ぼくも転びたいなあと思った。ぼくはまだ一度も転んだことがない。転んだことがないということは、転ぶ練習が出来てないということである。ぼくはそういうのが嫌なのだ。バッドエンドも全部とりあえず見ておきたい派なのだ。ありとあらゆる失敗をした上でクリアしたいのだ。そういうのが好きなのだ。
 スラロームとクランクと八の字と一本橋はぼくひとりだけの教習だった。加減速の時と同じインストラクターの兄ちゃんが来てくれた。この兄ちゃんは、実に兄ちゃんという感じの人で、何かを教えてくれるというよりは「俺が出す課題をクリアしろ」というタイプの人だった。兄ちゃんのけつをひたすら追いかけ続けた。クランクと八の字は半クラでゆっくり進めばいいだけなので大したことはなかったけれど一本橋は難しく、しかもあんまり面白くなかった。バイクは自転車と同じで速度が出るほど安定するのだけれど、一本橋は速度を抑えてまっすぐ進まなければならない。速度が低いと車体がふらふらしてくるのでタンクを足で強く挟んで、時々クラッチを繋いで速度を回復させなければならない。一本橋を渡ったら二速に上げてそのままスラロームに進む。スラロームはアクセルを使わずに半クラで進めば全く問題はないけれど兄ちゃんはカーブの頂点で少しだけアクセルを入れろというのでやってみたら途端に難しくなった。アクセルを入れなければセルフステアを意識することになるけれど、アクセルワークで曲がるならアンダーステアを意識することになる、ということなんだろうなと勝手に思っている。加速するとバイクは立ち上がろうとするからそれを利用しろということなんだけどいきなりは無理だった。スラロームの途中で足をついてしまった。一本橋も一度、橋に乗る前から思いっきり外れたところを走ってしまった。でも概ね出来ていたと思う。兄ちゃんに「どうでしたか?」と聞かれ「楽しかったです」とまた答えてしまう。バイクはいつも楽しい。
 教習が終わったあと、左手の握力がなくなった。とても疲れた。あの眼鏡氏はぼくより機械操作が下手だけど、でもぼくより良いライダーになるんだろうな、そういうことをふと思った。