鳥はぼくの肩によじのぼった。
そして転げ落ちそうになった。
上手く足が動かせなくなってしまった。
それでも鳥は、ぼくの肩に登ろうとしている。
以前からずっとそうしてきたように。
ここからの一年はとても早いですよ、と獣医は言ったそうだ。
姉と姉の友人は泣いていた。
ぼくはそういうことの全部を含めて、うまく考えることができない。
その日に起こったことについて考えようとすると、濡れたせっけんをつかんだ時みたいに、思考がにゅっと滑って、どこかへ行ってしまう。
雨の日。ポケットに折り畳みがさの袋をねじこんで表に出る。
ぽつりぽつりとよわよわしい雨だった。
ぼくは新しいイヤホンを試していた。頭の中にはラジオが流れていた。
雨雲はうすい灰色で不穏な感じはしなかった。
東京の雲はいつも軽薄で、暗雲になったことが無いような気がした。
駅前に着くと、後ろから外国人が走り寄ってきてぼくの顔を覗き込んだ。
そして彼は折り畳みがさの袋をむっつりした顔で差し出した。
ぼくは「ありがとうございます」と言った。
彼は何も言わずに走り去った。
イギリス人だ、とぼくは思った。
でもなぜそう思ったのかはよくわからない。
地下鉄に乗ると、となりに外国人が乗った。
ラフな格好をしている白人だった。
しばらくすると対面の席に外国人が乗った。
ダークスーツを着て、スーツの色のハットを被った黒人だった。大きな楽器のケースを持っていた。
黄色人のぼくはスマホで本を読んでいた。
隣の白人が黒人に「へい」と話しかけた。黒人は真顔で何かぼそぼそと返事をした。
この人たちはアメリカ人だ、とぼくは思った。
でもなぜそう思ったのかはよくわからない。
ぼくは日本人だ。たぶんどう見ても、どこにでもいるスマホ中毒の日本人だったろう。
「だるまさんが転んだって、何が目的なんですかね」と同僚が言った。
たぐいまれなセンスだと思った。
今、家にバイクのグローブが3双もある。
1双目は初めて教習所で貰った冬用のグローブで、中が起毛素材になっていて暖かい。
2双目は大型免許を申し込んだ時の夏用のグローブで、がさがさした素材で、分厚い防護加工がしてある。
3双目はレンタルバイクに乗るために買ったスマホ対応のグローブで、手の甲にプラスチックの小さいプロテクターが付いているもので、手によくなじむ。
どのグローブも、なんだかうれしい。ぼくはグローブが好きだ。
好きなのだが、こんなにいらないなあと思う。
使われずにバックパックからあふれ出しているグローブ達は、生き物が脱いだ皮のような奇妙な喪失感を漂わせている。
テーブルの上にジャムが置いてある。
いちごジャムだ。ぼくはこれを食パンに塗って食べるのだ。
いつでもパンに塗って食べられるように、テーブルの上に置いてあるのだ。
この「いつでも食べられるように」という状態・言葉が、ぼくはたまらなく好きだ。
なんかかわいい感じがしていい。
いつでも食べられるように何かを用意している人・動物を見ると、なんかかわいい感じがするな、とぼくは思う。
いちごジャムは半透明に赤く、いつ見てもおいしそうだ。
先日、食パンを買ってきたので、ジャムの蓋を開けた。
スプーンでジャムをすくおうとしたとき、ジャムの表面が緑色にかびていた。
ぼくは10秒ほど食べられなくなったそれを見つめた。
ジャムは腐らないはずではないか……水分が無いから……え? ……かびるの? ……蓋がしてあってもかびるの……? ということは、ジャムと蓋の間のとても少ない空気の中にかびがいて、そして時間をかけてジャムの表面で成長したということ? それってとてもすごいな……どんな空気の中にでもかびはいて、そして機会があれば成長する。ぼくが吸い込む空気の中にもかびがいて、そしてそれはごく当たり前のことで、ぼくにかびが生えないのは免疫がかびをいつも殺しているからに過ぎないわけで、だから目には見えないけれど、どこにでも超微量のかびは生息しているということなのだ。菌と共に生きているということなのだ。それらは普段は認識することができないけれど、条件が揃えば、現象としてはっきりと目にすることができる、ということなのだ。そしてこのかびという者共も、様々な種類がいて、そしてものすごく長い間、人間よりずっとたくましく生きのびてきた者共なのだ。すごいなあかびは。まるで無から湧き上がってきたかのような、超現実的な発生の仕方に見えるなあ。ということを考えたあと、ジャムは捨てた。
今度は冷蔵庫に入れておこうと思った。