やさしい風が吹いている。秋の風。角が無く丸く爽やかで気持ちがいい。気分がいい。
陽差しもすこし弱まったようだ。眠くなる。思考が加速している。増している。
ちょうどこの時期は何もない。季節がない。イベントも少ない。心も乱れない。
そろそろ優雅になってくる。音楽を聴いて頭の中をうろうろしている。散歩している。
訴えたいこともない。気づいたこともない。平穏な日々の平穏が層を増している。
涼を増している。粛々と生活をしている。今年もそろそろ終わりそうな気配。
たくさん生きた。と、ことあるごとに思うのは、生きたことを再確認しないと忘れる。
23時の町の中を歩いて帰宅する。電車から出るともう肌寒いけれど、歩くとすぐ暑い。
オレンジの街灯。オレンジの町。顔の見えない男が対面から歩いてくる。トラックの煙。
濡れたような照りのベンツのライン。ショーケースの向こうのぴかぴかのバイク。
歯磨きをする。歯間ブラシをする。最後にイソジンでうがいもする。徹底抗戦の構え。
救急車が二台連続で通り過ぎる。客引きが舌打ちをする。住宅街の奥から笑い声がする。
一冊読み終わる。またひとつ賢くなって、きっとまたひとつ世界が狭くなる。
忘れたことがなんだったか思い出せない。懐かしいという感覚は病気だと思う。
思い出した瞬間にものすごく息も胸も苦しくなる。歩けなくなる。目がくらむ。
懐かしいという感覚は病気だと思う。何も懐かしがりたくないからずっと続けばいい。
音楽を聴きながらふらふらしている。いつか何かしたくなる。その時を待っている。
10月の予定を整理する。進みそうな事件。停滞した関係。途切れることなく続く。
今日は同僚の誕生日だったから、5年前の電子煙草の機械を贈った。笑ってくれた。
辛い物を食べたくなるのは季節がないからか。中本の北極カップラーメンを食べた。
辛さは体の危険信号で直接的な痛みだから目が覚めて脳も活発になりのしのし歩く。
隣の客のスマホにはうつくしい女の待ち受け画面が映っている。美が欲しいのだろうか。
自慢と共有の差について考えている。それは他者に恩恵があるかどうかにかかっている。
日本のドラマを見ている。リキッドな感じがする。風邪を引いて休んだ日のわくわく。
特に思うこともない一日が過ぎていく。南極のペンギンもきっとそうしている。
9月25日の13時が120時間続けばいいのに。そしたらベッドで本を読み続けよう。
ノーベル賞候補の発見をした。寝ていると頭は臭くなるけど動いていると臭くない。
バイクを買おうかな、と1年以上ずっと考え続けている。徹頭徹尾の優柔不断。
音楽や映画や小説や配信で、生きていたくなると感じる時、何が起きているのだろう。
よくわからないけど、食べたり寝たりしても生きていたくなる瞬間はある。
どんな人間にも希死念慮の濃淡があるように、どんな人間にも生きたい衝動がある。