自ら頭を冷やしている

 とても寒い。風が上着を貫通している。耳が根元から取れそうだ。寒いけれど故郷の寒さに比べたら寒くはない。年末に少しだけ故郷に帰ることにした。あれからまだおじさんは生きている。一時は本当に生死の境をさまよったんだろう。もうひと月ほど経つけれど生命力。私が帰るまで生きているだろうか。きっと顔さえわからないだろうけれど、もう人間がどうにか出来る範囲を超えている。私があれこれ思い悩むのも滑稽に思われる。有難い気持ちはあるにせよ、粛々と私が生きる他ない。祈るくらいならいくらでも祈ることは出来るけど。ついあったかい、飲み物が飲みたい。ずっと前に買ったココアが棚の奥で冬眠していた。ココアは甘い。ずっと前に買った紅茶も未だ薫り高い。在庫を一斉に飲み干して棚はがらんとしてしまったから、もっとたくさん甘いココアを買って電気毛布に包まりながら狂ったようにココアを鯨飲する冬にしよう。会社の自動販売機に鯛茶漬けドリンクという異様なものが売ってあったので反射的に買って飲んだら薄い鯛出汁が微笑んでいるようであったが、缶の底に沈殿したおかゆ状の米はグロい感触で笑ってしまった。寒い寒いと言いながらアイスは別腹で、帰り道真っ暗な夜(灰色の空の日もある)、コンビニでジャンボモナカとmowを買って歩きながらジャンボモナカをばりばり食ろうている下弦の月が出ていた。冬だろうが夏だろうがアイスは尊い。家のドアを開けてすぐスプーンでmowもやっつけた。冷えたまま風呂にバブを入れてkindleでマンガを読みながら時々くちびるをプルルルルと震わせる訓練をすれば幸福な一日の終わりだ。くちびるをプルルとやるやつはリップロールという技でボイストレーニングにも使われているらしいのだが、印象は児戯である。であるが私は舌ロールは出来るけれど唇ロールは下手なのでプルルプハァとなる。プルルプハァとなった時やはり笑ってしまう。お湯に顔を突っ込んで息を止めていると映画の拷問シーンをいつも思い返す。風呂から上がればストイックなゲームライフが待っている。またスカイリムをしている。何回スカイリムをすれば気が済むのか、それにしてもスカイリムはアラスカみたいにいつも冬だから、冬に丁度良いというもの。ネトルベインでデカい樹の樹液を採ったらスプリガンがたくさん出てきて観光客を皆殺しにしてしまった。ショックだった。それからさらわれた町の人を助けるために洞窟に入り、すごく強い山賊長をやっと倒したと思ったら最後の剣のひと振りの隙間にさらわれた町の人が滑り込んできて勝手に切られて死んだ。ショックだった。なぜそうなる。あほなのか君は。ロードしてやり直そうか悩んだけれど人生にリセットはない。過ちも受け入れて進もうと決めたらさらわれた町の人の町のみんながなぜか私を殺そうとしてきてショックだった。ゲームをやめたくなった。仕方ないので殺そうとしてきた町の人をみんな殺した。道具屋も一人殺したので道具を買ったり売ったりしにくくなった。困った。こうなるともうゲーム過ぎてロールプレイとかいう感じを超越してただそこにとんでもなくドライなカオスがあるばかりだ。何冊か買った画集を眺めたり写真集を見たりして発見があったり、単純に楽しかったりした。単純に楽しかったりすることが単純に最も重要なことだった。一番楽しい方に転がって行こうというのが最近の私の行動規範だった。楽しそうと思っていたことでもやってみると今の自分の気分じゃなかったりするとき、今楽しめる方へ転がっていくことだ。とりあえずピーナッツがなくなった。毎回アマゾンで2kgのピーナッツを買っているが、すぐに無くなってしまう。一緒に写真集と画集も買った。写真集や画集はすごく高いので買うときには慎重になってしまう。そのまま結局買わないということも多い。でも今は楽しいことを軸に行動してよいことにしているから、古本でばんばん作品を買って、ピーナッツもすかさず食べる。