時速30キロの静寂

 圧倒的速度で一日が終わっていく。あまりにも速すぎる上に疲れている。常に何かをしている。とても眠い。
 バイクを買った。はじめて自分のバイクを持った。電動バイクで原付一種。とても遅い。でもとても安くて軽くて小さい。私の体重より軽い。力を入れれば持ち上げられる程度の車重なので実際に持ち上げている。持ち上げないと新居の門の中に入れることが出来ない。旧居と新居を行き来するためにレンタル電動アシスト自転車を使っていたけれどそれに疲れたので買った。ネットでバイクを調べて売っている店を調べて在庫があるかメールで問い合わせて実際に見に行って値切ったら苦笑いされ最終的に「これください」とまるで服でも買うような感じで買った。納車まで1週間かかると言われたけれど自分でナンバープレートを取得するなら5000円安くなる上に明日には納車出来ると言われたのですぐに区役所に行ってバイク店からもらった購入証明書みたいなものを出したら10分ほどでナンバープレートが出てきた。区役所でナンバープレートを貰うというのも初めてだったし、受付のカウンターの上に綺麗なプレートが置いてあるのもおかしな光景だった。区役所のあのデスクの群れのどこかにナンバープレートがたくさん収納してあるんだろうか、変な感じだった。納車の日、プレートとヘルメットを持ってバイク店に行きお金を払ってその日からバイクに乗っている。バイクってこんなに簡単に買えるんだなあと感心した。面倒な手続きなどはほとんどなかった。これください、でほとんど終わりだ。原付は30キロ制限があるので速い自転車にさえ追い抜かれるけれど風を切るのではなく風と同じ速度で進む原チャリののんびりした感じは、それはそれでいい。電動バイクなので乗り心地もやはり不思議なところが多い。まず排気ガスが出ないしエンジンが無いので排気音もない。ガソリンを入れる必要がない。マフラーもないし、リアハブモーターなのでチェーンさえない。ギアボックスもない。とても静かにすーっと進む。このすーっと進むという感覚はエンジン車にしか乗ったことがない私にとっては違和感があった。スロットルの開度が直感的に把握できないからだ。エンジン車なら音の高さでどれくらいエンジンが回転しているのかわかるし、教習所でもタコメーターを見ないで音で判断しろ、と教える教官がいたくらいには回転音は大事なところだけれど電動バイクはそれがまったくない。だからあんまり電動バイクは生き物の感じがしない。エンジン車は震えているし発熱するし謎の液がぽたぽた落ちているし、とても生き物っぽい。電動バイクはロボットみたいだし、大きいミニ四駆と言っても過言ではない。だからこそシンプルでメンテ箇所も少なくてよさそうなのだけれど。買ってから100kmほど走ってようやく慣れてきたけれど、スロットルのレスポンスが速くピーキーな反応をするわりにトルクがほとんどないのがなんともへんてこだ。坂道ではパワーモードでフルスロットルにしても失速する。一番の欠点は航続距離の短さで、バッテリーフル充電でも40kmくらいしか走らない。この点を改善しない限り電動バイクはそれほど普及しないのではないかと思う。おもちゃとしては面白いけれど実際に通勤や仕事に使うにはまだ不安があるし、40kmしか走れないならツーリングにも行けない。予備のバッテリーを持っていくか、ポータブル電源で6時間充電するか、どこかのホテルのコンセントで充電しなければそれ以上走れない。気軽にガソリンスタンドで燃料を買うということができないので、ルート選びにとても慎重になる。本当に「ちょっと楽な自転車」くらいのスタンスで、なんとなくのんびり真夜中の車通りの少ない道を走ったりするくらいなら静寂の中を静寂と共に走ることが出来て楽しい。あとデザインはイタリアだけれど生産が中国なので早速足を乗せるステップが曲がった。もともとボルト二本で鉄板を止めているだけのシンプル過ぎる構造だなと思っていたけれど、鉄板も2mmほどのやわらか目のスチールという感じで強く踏んだらどんどん曲がっていく程度の強度しかない。アマゾンでステンレスのステーを何枚か買ってステップを自作してみたけれどステンレスでも強度が足りずすぐに曲がってしまったので、これから色々試して遊ぼうと思っている。旧居から荷物を乗せて新居に運ぶという苦行を5度ほど繰り返して、荷台に山盛りの荷物を積んだ上にぱんぱんの登山リュックを背負って運転するのにももう慣れた。大きいトラックが体のすぐ横を猛スピードで追い越して行くのにも慣れた。自転車に追い抜かれるのも慣れた。今日でようやくすべての荷物を運び終えることが出来た。すごく疲れたけれど、仕事から帰って真夜中の東京を原付でのんびり走るのは楽しかった。私はバイクが好きなんだなと改めて思った。どんなに辛い瞬間でさえバイクは楽しい。もう運び出す荷物はないから、買ったばかりのバイクはもうその役目の大半を終えたことになる。これからはただ純粋に走ることを楽しむためのものになればいいと思う。ともあれレンタルではない自分のバイクはいいものだ。返却時間に追われることもないし、立ちごけを必要以上に恐れることもない。どこか行きたい場所があるわけでもない。ただバイクに乗っているだけいい。
 あと冷蔵庫を買いにヨドバシカメラに行って14万円割引になった。それからメンタルヘルス系の資格を受検した。母の相続の問題もそれなりにクリアになってきた。あさって母を故郷に迎えにいく。インターネットを解約して機器を返送した。会社の同僚にDJの機器や電子レンジなどをあげた。粗大ごみを出した。などをやりながら働いた。ひとつひとつが非常に面倒なやりとりや手続きがあって悩みは尽きないし胃も痛くなってくるし寝ている間も自分の唸り声で目覚めるようになってしまったしストレスで顎関節症が非常に悪化したりしたし、何日か喉に激痛が走って風邪のような症状になり寝込んだし花粉症が酷くなって鼻水が止まらないし目も痒い。全部書いたら3万字になるので書かない。しかしながら母が新居に越してきたら、ひと段落する予定だから、昨年末から続いている苛烈な日々も、そろそろ終わりが見えてきている。