筋トレをいたしました。
昨晩筋トレの動画を見たので、やっぱり筋肉が千切れるまでやった方がいいんだなあとわかった。決まった回数をこなすより「筋肉が千切れるまで」と決めた方が楽だ。回数を数えなくていいからです。毎回限界までやればいい。筋トレが終わったあと全身がびきびきした。特に新しく始めた懸垂関係の筋肉がひどい。
筋トレ後、プロテインを飲んでとろろそばを食べた。僕は中・高校生の頃からコンビニのとろろそばばかり食べていた。学校はお弁当方式だったので、朝コンビニでとろろそばを買って教室で食べた。コンビニで買ったものを学校で食べているのは僕くらいだったので妙に得意気だった。食べやすくてうまいので今も好きだ。
少し昼寝した。眠っている間にどこかから爆音で音が聞こえてきた。壁を貫通して激烈な音量で何か鳴っている。2分くらい経ってネズミ対策のため屋根裏に置いた超音波用スピーカーからvtuberの雑談が流れていることに気が付いた。飛び起きて再生を止めた。久々に寝起きの冷汗が出た。会社に遅刻したのが判明した時以来だ。音はyoutubeの連続再生で勝手に再生されたらしかった。危なかった。さわやかな雑談だったのでよかった。あやしげなASMRとかが流れていたら不眠症が加速してしまう。
昼から友人と映画を観に行った。
まず焼き肉を食べた。肉を焼いて食べまくった。米も食べるようになった。焼き肉は大変おいしゅうございましたが、しゃぶしゃぶの方が今は好きだ。
映画『超かぐや姫!』は“男オタクが見た夢”と僕のメモには書いてある。Netflixで一度見た時に書いたメモだ。劇場で見てもシナリオやヴィジュアルには同じような感想を抱いた。音楽が重要な映画なので映画館で観るのはとてもよい。ただテレビサイズ用の日常パートの粗い作画が巨大なスクリーンに映し出されることに制作陣はどんな感想を持つのだろうか。僕ならすこし後悔しそうだなと思う。テレビだとお金をかけなくてもよい静的な日常シーンは軽めに、派手な戦闘シーンやライブなどの見所は力を入れた作画をするものだと思うけれど、劇場版は基本的に全部力が入っているようなイメージはある。などを踏まえて考えると昔のディズニーアニメの作画ってグロテスクなほど偏執的なまでにすごい。
超かぐや姫!はヒットしている。面白いのだろう。面白いと思う。古のネット文化のネタも含まれているしvtuberや配信、ネットゲームなどごりごりにオタクに訴求してくる。∀ガンダムだという説もある。ただ素直に面白いと言いたくない何かがあって、それが何故か僕なりに考えてみたところ、結局ちょっとメタい部分がテレビ過ぎるんではないかと思っている。なぜそれがいけないのか、更に考えてみると僕が「アニメ映画」に求めているのはAKIRAや攻殻機動隊やジブリのような「格」というか「態度」というか「雰囲気」というか、威風堂々とした主張のある味のある作品と無自覚に比較してしまうからではないかと考えている。つまり、感性がじじいだ。面白い映画だ。面白いのは認めている。好きだ。
おもちゃ売り場に置いてあった黒ひげ危機一髪にナイフを刺しながら友人が言った。
「もしかぐやがブスだったら、この映画は流行らなかっただろうね」
僕もナイフを刺しながらとてもいい観点だと思った。これは僕の最初の感想“男オタクが見た夢”とも合致する。
「つまりルッキズムだよ。唾棄すべきだよ」と友人は言った。
今後の世の動向に注目している。いつまでアイドルは必要とされるだろう。
モーセがシナイ山に登って主と話している間に、麓の民は勝手に偶像を作って崇めていた。
すごく示唆的で面白い。
今年見た映画を振り返ってみると『ブゴニア』と『プロジェクト・ヘイル・メアリー』は大変素晴らしかった。
僕にもまだ面白いと思える何かが残されていると考えられることが幸福だ。
日曜日 79日目
雨、暴風。
母を伴って近所の映画館へゆく。
特に話すこともない。母から話題を振ってくることもない。母にはもう何も残っていない。ただ命の灯だけがまだ消えずに残っている。
そんなふうに、母が自分で自分を楽しませることができない様子を見て、それは母が自分で自分を成長させる努力を怠ったからだと考えている。考えてしまう。
もっと自分の可能性を広げるための努力をなぜしてこなかったのか? そのツケが今、回って来てるんじゃないのか? もっと色々なことに興味を持って生きていたら歳を取ったって少なくとも深く静寂の底に沈むようなことはなかったのではないか? 今からでも遅くないから何かしたいことを探せばいいのではないか?
というのは、40代の、そこそこ健康でそこそこ健全な僕の主観に過ぎない。歳をとって頭も軽くボケてきたら何も考えることなんて出来ないのかもしれない。世界になんの興味も抱かないのかもしれない。何もかもが面倒で億劫で恐ろしいことに変わってしまうのかもしれない。そういう可能性を考えることは出来る。出来るがしかし「その姿を僕は肯定したくない。」なぜなら僕は40代で、そこそこ健康でそこそこ健全だからだ。自分勝手にまだ母の幸福な生活を願っているからだ。本当にどうでもいいならこんなに考えたりしない。とっくの昔に縁を切っている。
母は洗濯ができる。干すのは忘れる。
母は皿洗いができる。完璧にできる。
母は軽い料理が出来る。おいしくできる。
母はコンビニに買い物に行くことができる。そのコンビニ以外には一切行くことが出来ない。
母は簡単な世間話が出来る。思い出話はもっと得意だ。
母は草むしりが出来る。
母は掃除機をかけることができる。
母は一日に16時間くらいテレビを見ている。起きている間はずっとテレビを見ている。
それ以外のことはとても難しそうだ。
たとえば映画を観に行こうと二人で決めたとする。するとまず上映時間を忘れている。映画を観に行くということ自体も忘れている。気温が高くてもあったかいコートを着て行こうとする。雨が降っていても何故か傘をささない。傘を差したらと聞いても傘を差さない。近所の映画館までの道は覚えていない。犬の糞を踏みそうになる。前を見て歩かないので人にぶつかりそうになる。赤信号でも渡って行こうとする。歩いているうちに映画を見に行く予定だったということを忘れている。映画館のチケットの買い方が分からない。映画館の座席の位置が分からない。スマホの電源の消し方が分からない。映画が始まると必ず鞄をあけてごそごそと何かを確認しはじめる。映画が終わっても何も言わない。映画のことについて感想を求めると「なんだかわからなかった」と言う。買い物は出来るが値段を見ないのでお金を使い過ぎる。使い過ぎた挙句、ひとりで絶望している。ラーメンを食べに行くと食券の買い方がわからない。傘を置いた場所を忘れる。帰り道、土砂降りなのに何故か傘をささない。
普通の人だと思ってはいけないんだな、と僕は何度目かの諦念を感じている。
やさしく言っても強く言っても効果はない。
とてもとても難しいし、悔しい。
でも変えられないことはある。
地震や津波のように、それはやってくる。
日曜日 78日目
超音波を流している。
17kHz~20kHzの音で、一応人間の可聴域の上限ぎりぎりではあるけれど僕には聞こえない。おそらく姉にも岡野にも母にも聞こえていない。僕たちがモスキート音が聞こえない年齢になったのか、もしくは「再生している音源が最初から無音」の可能性があるのではないかと考えており、それはそれでウケるなと思っている。人間には聞こえない音域ですが害獣には聞こえるんですよ! という売り言葉をどうやって検証すればいいんだろう。昔話的というか詐欺的というか、なんか面白い。
3月の自転車走行距離合計は1424キロだった。
1000キロ走ってみたかったので目標は達成できた。しかし1000キロ以上走っても特に何かが変わるわけではなかった。
今日は180キロ走った。9時間10分かかった。よいタイムだった。
お尻の痛さと激しい疲労はいつも通りで、今日は頭痛もあった。自転車由来の頭痛は二度目で、大体140キロ辺りで発生する。おそらく水分不足か低血糖か熱中症か筋緊張型頭痛か、あるいはその全部が複雑に絡み合って頭痛になっているのか、理由はよくわからなかった。
とりあえず自販機を探し回ってコーラの細缶を一気飲みしたらすぐ治った。僕の自転車頭痛は低血糖の初期症状のようだった。今まで飲んだコーラの中で一番うまかった。
150キロ辺りで疲れすぎて家に帰りたくなる。もう走りたくないし自転車も当分乗りたくない。体のほとんどが鈍く痛いし何時間も走り続けてサイクルジャージにも顔にもレーパンにも塩が生成されている。なぜこんな苦痛を自ら浴びているのか。すこし頭がおかしいのではないか。自転車に乗っている人はみんな少しおかしいのではないか。と悪心を抱く。走り疲れたメロスみたいに。
でも二三日休むと自転車に乗ろうかなと思うようになる。また走り出したメロスみたいに。
自転車から帰って体重を計るといつも通り3キロ減っていた。すぐにプロテインを飲んで筋肉の崩壊を防ぐ。用意してあった昼飯をむさぼり食い炭水化物もしっかり摂ってシャワーで汗と塩を完全に除去して部屋に戻り軟体動物のようにぐねぐねしながらベッドの上を転がる。太腿の疲労が完全に回復するまでには2日かかるし、お尻の回復には5日くらいかかる。上半身は元気なので上半身の筋トレはする。
Amazonで買った懸垂マシンが届いたので「僕は一体いくつの家具を組み立てればいいんだ」とうんざりした気持ちでマシンを組み立てた。組み立て家具を組み立て過ぎている。懸垂マシンにぶら下がり、背中に効くように力を込めたけれど一回も懸垂できなかった。そして両腕の上腕二頭筋が千切れて激痛が走り10分くらい両腕が動かなくなった。
「両腕の腱が切れた」と家族のグループチャットに投稿した。
「懸垂マシンこわっ」と返信がきた。
中学生の頃は出来たんだけどなあとかしょうもないことを考えていた。今は体重がありすぎるし、背中の筋肉は全然鍛えられていない。少しずつ強くしていくしかない。僕は懸垂が出来ない、と受け入れた瞬間、とてもわくわくした。僕は自分が出来ないことが大好きだ。出来ない事が出来るようになるのはもっと大好きだ。
すでに出来ることにはあまり興味がない。攻略法を知ってるゲームみたいなものだと思う。
ずーっと宇宙の本を読んでいる。一年以上かけているのにめちゃくちゃゆっくりとしか進まない。宇宙の面白いところは、人類がほとんど何もわかっていないところだ。わかってなくても全然生きていける。でもわからないことをわからないと知ることは大事だよなあと思う。宇宙の端っこはどうなっているんだろう。
よくわからないけどうまいラーメン屋があればいいなと思う。
宇宙には無限の可能性があるので、宇宙の端っこにうまいラーメン屋がある可能性は無限にある。