春風に、綿のように吹き飛ばされそうな軽い意識。
18時に家を出た。少し湿った夜だった。映画を見に行く。
街路にはあまり人がなく、車道には長いテールライトの列。
街灯に照らされるココイチ。甘い匂いのミスタードーナツ。
空に浮かんでいるみたいな高架上の駅のホーム。ビルよりもずっと都市の象徴に見える。
仕事帰りの人々に紛れて町から町へ電車を乗り継ぐ。映画館のある町へ。
もう暑い。アウターもいらないけれど、つい世間に迎合するようにしてナイロンパーカを着たりしている。
ネットで予約したチケットを、劇場入口の発券機から出力して最上階へ。
座席は3,4割ほどの入り。そもそも映画を映画館で見ようという人は少なくなっているんだろう。
netflixやAmazonPrimeVideoでいくらでも高品質な画質の最新映画が見られるのだから。
ビデオを借りにDORAMAに通ったり、映画館に行く時代はとっくに終わったんだ。
それでもまだ間に合う。映画館は残っているのだから。
クリストファー・ノーラン監督『オッペンハイマー』を見た。
アカデミー賞13部門ノミネート、7部門で受賞。すさまじい評価だったから気になっていた。
原爆の父と呼ばれているオッペンハイマーさんのドキュメンタリーな作品。題材は明らかに地味。宇宙探検も時間逆行も無いのに、それでも作品は明確にノーラン監督のトーンだった。エンタメを期待しすぎると少し肩透かしを食らいかねないほど真面目な作品だった。良かった。
ただ毎度のことながら、映画館の環境が問題で、真後ろに座った客がいつまでもビニール袋をがさがささせている人だったのがとても残念だった。映画館のマナーだけは過激派の私は、後ろを振り向いて客を睨んだ。おじいさんになりかけのおじさんという感じの人だった。おじさんは私の席の背もたれを10回ほど蹴ってきたし(たぶん足を組み替えた際に椅子を蹴ってしまっている)、ぼりぼりと音を立ててせんべいかかりんとうか、とにかく固いものを食べていた。ずっと音を立てているので私は後ろの席に向かって中指を立てた。すこしだけ静かになったのでよかった。自分がどれだけ見苦しいことをしているかは承知している。それでもダメなら立ち上がって直接「うるさくて迷惑なのでビニールを触るのをやめてくれませんか?」と言いに行くつもりだった。ミイラ取りがミイラになるというか、うるさい客を注意するために自らがうるさい客になってしまうジレンマを解決できないのでそれはあまりやりたくない。
お腹が減っているなら映画館に来る前に食べてくればいいと思う。周囲に迷惑になるのが分かっているのに上映中に物を食べようと考える神経が私には理解できない。彼らにはそもそも周囲に迷惑がかかるという想像が一切できないのだと思う。気持ちが悪い。ポップコーンならあまり音がしないので許せるし、ビニールから出してパンを食べているとかなら全然いいんだけれど、ケチャップの強いにおいがするハンバーガーを食べている人とかも意味がわからない。お友達同士でお話をしている客やスマホが鳴ってしまう系の人も論外だ。こういう当たり前のルールは大概、予告編の前に短い動画となって説明される。椅子と一体化できる人だけが映画館に来てほしいと切に願う。マナーの優良な客しか入れない映画館というものがあったとしたら、チケットが500円高くてもそっちに行く。免許のようなものがあればいいと思う。マナー講座を受けた人だけが入れる映画館。そうしたら私は喜んで映画鑑賞の資格を取りに行く。治安が悪くてもいいという客と、治安がよくなければ行きたくないという客の棲み分けが必要かもしれない。
町田ちまさんが歌う『ド屑』にはまっている。原曲を全く知らなくて、にじさんじのアーカイブを漁っている時、不意にみつけた。とても面白い音楽だと思ったし、それ以上に歌詞が面白かった。最後まで明確な文章がほとんど出てこなくて、何が言いたいかということが明らかにならないんだけれど、それでも全てのフレーズが曲名とだけはきっちり対応している。何か伝えたいことがあるというより、伝えたいことが言語化される前の感情や思考をそのまま歌詞にしたような潔さがあった。質感や温度だけがそこにあって、だから言葉を解釈する余地さえなくトーンが伝わってくる。町田さんの歌の上手さは言わずもがなだけれど、歌唱法や透明だけど芯のある声の質も曲にぴったりでとてもいい。特に「音楽的なビブラート」と「感情的なビブラート」が複雑に絡み合っているところがすさまじいと思った。
コンビニでアイスをふたつ買った。
袋はもらわなかった。
左手にモナ王。右手にエッセルスーパーカップ。
アイスを携えて暗い家路を歩いていると無敵だった。
真夜中、友人たちとオンラインゲームをしている。
とても楽しい。ソロプレイとは全く違う。文字通りの別ゲーだと思う。
ひとりと、ふたりでは何もかも全く違う。食事も勉強も散歩も仕事も。
ひとりと、ふたりでは何もかもが全く違う性質を帯びる。どちらが良いとか悪いとかではない。
ただまったく違う。