パラメータの割り振り

 仕事をしているとエアポケットのような時間がたまにある。
 シャンプーのポンプを何回か押しても全然シャンプーが出てこないあの時のような時間だ。
 Oさんと話した。
 Oさんは独特な人なので私は好きだ。話していて面白いと感じる稀有な人間でもある。
 話の中でOさんが非常な読書家であることがわかった。前から本を読む人だということはわかっていたけれど、それにしてもすごい量を読んでいる。
 ひとつきに50冊も読むのだという。それを毎月繰り返しているという。部屋には千冊以上の本があり全部古本屋に売ったのだという。とにかくあっという間に本で部屋が埋め尽くされてしまうので電子書籍に鞍替えしたのだという。
 私はたまげて腰を抜かし座り小便をしてしまった。それほど本を読んでいる人は、知人の中にはいなかったように思う。そもそも本を読んでいますという人が少ない。
 自分自身、まあまあ本を読んでいる方だと思っていたけれど、Oさんと比べると月とゆでたまごだ。比べる必要はまったくないのだけれどそれでもやはり、本を読むことがそれなりに好きだという自負のようなものがあったので遂、比べてしまった。
「私はそんじょそこらの人に負けないくらい本を読んでいる自身はあります」とOさんはすこし誇らしげに言った。下手に謙遜されるよりよほど気持ちがいい。Oさんにだってきっと自負のようなものはあるのだ。
 私は最近、本を全く読めていない。youtubeを見てゲームをしているだけだ。それはそれでいい。たとえば私とOさんのゲームの腕前を比べたら、たぶん月とゆでたまごだ。人間というのはそういうもので、限られた時間の中で、それぞれが自分の好きなように時間を使っており、それぞれが人にはない特徴を得ていく。私が知らないことをOさんは知っている。そしてOさんが知らないことを私が知っている。情報や経験の総量は、同じくらいの年齢であればきっとある程度平均的になっていくのだと思う。みんな何かをしている。何かしらの知識や経験を積み重ねていく。ある面では優れていて、ある面では劣っている。その違いはある意味では尊い個性なのかもしれないけれど、あまり意味があることではない。知識があるとか、経験があるとか、そういう差によって偉さが変わるなどということはない。ある時と場で、ある程度有利になる瞬間があるというだけのことだ。
 ということを、Oさんはたぶんわかっているのだろう、と思えるところが、私は好きだ。私はOさんがたくさん本を読んでいることや、知識が豊富であるからという理由でOさんを尊敬したりしない。私は、Oさんが蓄えた知識や経験によって、Oさん自身の人間性がより研ぎ澄まされ、より寛容になったであろうことを尊敬している。
 単純に、頭がよくても嫌なやつってキモいよというはなしでもある。
 Oさんは人間性を残したままスノッブにもならず、私とめちゃくちゃくだらない話をしてくれるので、そういうところがいいなと思うのだった。
 そのエアポケットの時間が終わると忙の圧殺が始まり、息をつめ、目を凝らして一生懸命仕事をする時間がやってきて、一秒も休めない気持ちとなる。頭をかきむしりワーッと叫びながら窓ガラスを突き破って外に出て行きたくなるような忙しさだ。それでも私はそんなクライシスを迎えることもなく社会のため、自分のために頑張って仕事をして、生活をしている。こんなに誇らしいことが、ほかにありましょうか。