読み返さない

 春樹さんの本をぱらぱらと読んでいると、
“自己治癒的”
 という言葉がちらほらと目につき、創作には自己治癒的な側面が確実にありますものね、という文脈であり、そのような論旨を、発行年が10年以上違うAの本とBの本の二冊で実施されておられたので、たぶんこの村上春樹さんという人は、小説創作の自己治癒的な側面に自然と注目してしまうか、あるいは小説創作の自己治癒的な作用に大いに価値を置いておられる、のかなとうろうろ考えた。
 それで私としては、なんっかけぇてるうつに自己治癒ってきたがぁ~ってなることを、たしかに感じたことがあるというか、書いていて面白くない日を除けば(そういう日は結構あるし、そういう日は書くことよりゲームとかをした方が自己治癒的であることが多い)、普通に書くことは面白いし、楽しいし、なんか最初と書きたかったことがだいぶ違うけどまあなんか楽しかったからいいか、ということによくなるわけで、そういう意味では小説創作というよりも、書くこと自体が、というかある意味では自己治癒的な側面を感じられるすべての出来事は自己治癒的作用が確実にあります。
 と私、断じます。
 
 それでも春樹さんが、スポーツには自己治癒的な側面がありますとか、電気工作には自己治癒的な作用がありますとか、そういう題材を選ばなかったのは彼が小説作家であるからで、だからたぶん爪切りだって自己治癒的効能はふんだんに含まれておりますのだと思うけれど、しかし、それを差し引いても書くことというのは否が応にも文字文章列の上に自分が反映されてしまうものというか、すべての文章がそうだというわけではもちろんないけれど(たとえばコーラのラベルの成分表や、掃除機の説明書には、筆者の考えや思想とか感情とかは書いておらないように)、プライベートな文章をものすと、プライベートなんだからそれはもちろん自分がそこにあり、そこにうねる文字すべてシグネチャーと言えないこともないと思わないこともない。
 その文章で自分が何を考え行動し、迷い獲得し、逃げ出したり戦ったり、改善したりしなかったりしたのかということを自ら認知することがまず自己治癒的第一歩であり、それは文章という表現スタイルが、否が応にも得意な分野だったりするのだろう。
 好むと好まざるとにかかわらず自己治癒されますということなのかもしれない。
 
 自己治癒的文章を書いたからといって、それを読んで面白いかというとこれは別の話で。
 書くことや小説創作は自己治癒的かもしれないけれど、それを自ら読んでみると私は強い吐き気に襲われ、息が止まる。恥ずかしくて見ていられない気持ちになります。もうよしなさい。という気持ちになります。これは一体なぜこんな気持ちになるのだろうなあと考えてみると、排出するという行為自体は生命に必要だけれど、排出されたものに関しては生命に必要ではないからなのかなと思ったりします。あるいはこれも認知の歪みで、私はこういう風に感じる心を改善すべきなのでしょうか。
 
 歯医者さんで抜いてもらった親知らずを、ずっと取っておいたことがありました。
 ものすごく立派な歯で、どうして親知らずがこんなにも体の栄養を使ってたくましく育ってしまったのか! この親知らずめが。とほんとうに思いました。小指の先ほどのまるまると太った歯で、すこし虫歯になっていたのですけれども、その歯をビニール小袋に入れておうちデスクの上に置き、ことあるごとに持ち上げては「でっけえ歯さん」と思っていました。
 しかしそのうちに、だんだんその歯がまがまがしいものに見えてきて、どうにも不吉で、なんだか死んだ人の体の一部みたいに思えてきて、捨ててしまいました。
 もったいないような気もしましたが、ネックレスにする予定もなかったので捨ててもいいように思いました。
 日常的に人間は、かつて自分の一部だったものを捨て続けていて、髪や、爪や、皮膚や、日々排出されるものや、そういう風なものを溜めて、時に見返すということは自然ではないし、そういう風なものは不要になったものとしてどこか私の気にならないところへやってしまうのが、生き物の直感として正しいような気持ちがあります。
 文章もそういうものなのではないか。
 いやそうではないのか、私の文章がそういうものである、ということなのかもしれない。
 私の文章はそういうものである、とするのが私の自己治癒の一過程なのかもしれません。
 
「Right Now」はパンクスの言葉ですが、「今・ここ」とするとマインドフルネスの言葉です。
 私にはその違いが明確ではなく、やはり同じような意味を持つように思われます。
 やるなら今しかねーぞ、と歌っていたあのバンドの人達は、なんかずっと前から色々なことを言葉ではなく経験で理解していたのかなあと思います。
 今日はすごく自己治癒的な文章を書いたので気分がとてもいいです。
 そういえばさっき、またスパティフィラムがしおしおになっていたので水をどばどばにしたら2時間ほどで背筋がすっと伸びて元気になりました。
 私はいつもこの一連の流れから何か言い知れぬ感動・凄みを感じるのですが、その概念に当てはまる言葉を今のところ知りません。
 でもまあ、水をやると元気になるという現象が私は好きです。