ひかりをあてる、すきになる

 結局のところ最善の策は人間を好きになる。
  なのかもしれない。残業をし過ぎて、終電が消えた真夜中だった。高層ビルの目。のような光の集合体の摩天楼の隙間に浮かんでいた月はあかあかと輝いて見えたが、あれはただ光を反射しているだけの岩塊です。これはひとつのメタファーだった。
 「ものすごくつよい光をあててみなさい。どんなものでもひかるから」
  先輩はOJT中、ずっとグーグルマップを見ていた。それが一番の印象だった。茶髪でいつも暖かそうな、もかもかのセーターを着ている、論理的で丁寧な喋り方の、バイク乗りの先輩は、童顔で筋肉質で、あまり笑わないから、彼が笑うと、訓練された動物が、調教師の合図で笑顔に似た表情を浮かべている様を想起させた。そういう笑い方の人は、たまにいる。きっと笑うのが得意ではないのだろう。だけど、生きていくうちに、必要に迫られ、それを覚えた。箸の使い方を覚えるように、訓練を重ねて、笑うことを覚えた。
  という印象、という話。人間を好きになる、ということを覚えた時、やはり私も、必要に迫られてそうした。ということを覚えている。世の中には、繊細な人間を一目で見抜く力を持った人間がおり、そういう人間は、たいてい意地悪なのだけれど(たいていの人間は意地悪なのだけれど)、意地悪なことを言ってくる、意地悪を、悪意を周囲に振りまく人と、どうしたら上手くやっていけるか、と、考える必要があったため、私は意地悪な人を好きになることにした。“こだまでしょうか。いいえ、誰でも。”の、理論は、すぐれた詩であると同時に、心理学だった。きみは酒をドラッグとして摂取しているな、と言われたことがある。グルメとしてではなく、酩酊の道具として。その通りだった。だから私は、時々考えてしまう。どうしてこの人(あるいは私以外の誰か)は“好き”を使わないんだろう? 答えは“好き”を使わなくても、生きてこられたから、なのだろうね。意地悪な人に、意地悪をされ続け、私は愛を覚えました。もし、愛を覚えなければ、絶え間ない闘争が待っている、という状況は、あります。
  真夜中の町を歩き続ける、歩き続けた。渋谷の近くの公園に、ブルーシートのふくらみが、不自然に乱立していた。街灯に照らされ、なまめかしい立体となった青いドームだ。大きな、虫の卵のようだった。生命を覆う殻。の横に、「公園でたき火をしないでください」という木の看板。繰り返すけれど、東京のど真ん中の、渋谷のすぐ横の公園だ。摩天楼の隙間で薪を燃やす人々が眼に浮かび、文明に住む、非文明的な生活の、すさまじい対比と、その融合を見た。ここが東京だと、いつから錯覚していた? 月から見れば、ここは地球で、蟻から見れば、どこまでも果てしない大地だ。
  レンタル自転車にてナイトシティーを疾走する私。風を切り冷気にて頬が削げる。囚われていたんじゃん。結局、固定観念や主観や第一印象や偏見や、願望に。私は自転車のペダルを強く踏み込み加速する。ひとりの人間として、自分の意見を、自分で認めなければ、一体自分とは何者なのか、たやすく見失ってしまうじゃん。と、考えていたことだった。街灯がすごい勢いで通り過ぎる。まるで点滅のように、回転するランプのように。風の音がごうごうと耳に響く。私は加速する。私は、普段の一人称は、ぼくだ。でも、ぼくはぼくでなくてもいいんだ、と思った。ぼくは、私でもいい。ぼくはおじさんだが、ナイトシティーを自転車で疾走したっていい。都会でたき火をしたっていい(だめ)。月は、月ではなく岩でいい。先輩はグーグルマップを見てていい。ブログの文章が独特過ぎてもいい。自転車の為の道を、音もなく駆け抜ける私は、泣きたくなるほどわくわくしながら、小学生より激しくペダルを回転させている。そんな夜が、あっていい。
  終電を喪うまではたらいた私が覚えたのは、こんなふうな、自由。
  私は、こんな私を、“好き”でいようと思います。