はじまりのはじまり、おわりのおわり

 何をしているのか自分でもよくわからないままに人生は流れ続けており、あらゆる変化を思い出そうとするだけで多大な精神的負荷があるものの、それでもぼくは過去を思い出したり、現状を正しく把握したりしなければならないのだろうと、ココアを飲みながら考えているところですが、今年はまず転職から始まった。
 2021年末にて前職の現場が解体となった。先輩方は関係会社へ次々と流れて行き、退職する方も現れ、薄くなっていく戦力の中に新人の派遣社員が続々投入され、現場に残された人間は現状維持と尻ぬぐいと引継ぎと教育とを全て任された。新人の派遣社員の方々は、新人ではあるけれどみなさん年季の入った海千山千の素人だった。仕事を覚えるのにとても苦労していたし、意見をはっきり言う人が多かったので現職の社員との衝突が多発し、業務中に泣き出す方も出て、上の会社の指示体系も明らかに混乱しており、責任の放棄とタスクの押しつけ合いが日常茶飯事になって、現場の空気はどんどん悪くなった。ぼくは現場解体の最後の日まで五年続けた仕事の場に残ることになったため、なるべく新しい方々が不快な思いをしないように休日を返上して教育に務め、資料を作成し、雰囲気の改善のために感情的な根回しをし、一生懸命働いたわけだが、僕たちが教育に関わった新人さん達は2022年12月現在、誰一人残っていない。これが人生だと思う。
 それが2021年末、つまりアフターであり、2022年始にはもうビフォーが始まる。目まぐるしく命が駆け巡る。1月から新しい会社に所属することとなり、新しい地獄に向かった。新現場は前職と似たような業務内容だったので、大体何をするのかは分かっていたけれど、細部はもちろん違うのでとにかく覚えることだらけの時間だった。ここではぼくが新人となる。人生では立場も役割も次々と入れ替わる。新しいノートはすぐに全部文字で埋まった。年下の先輩方にからかわれるほどメモしたけれど、ぼくはほとんど仕事を覚えなかった。即戦力として現場に投入され、即戦力として働いたけどあまり戦力にはならなかったと思う。ぼくは真面目な人間だが要領が悪いし、何より前年末の現場解体のてんやわんやで疲れ切っていた。いつ辞めてもいいやと思いながら、それでも誰にも迷惑をかけないように頑張ろうと思っていた。現場は増員の流れの中にあり、ベテランが何人か退職し、新しい人員が月に1名ずつ投入された。チームの半分以上が新人になり、早々に辞めていく新人たちも現れ、覚えなければならないことはいつまでも消えず、新人が新人を教育するというわけのわからない体制がまかり通り、通勤時間が増えたことや不定期の夜勤もあいまって激しい消耗は続いていた。そこへ更に転職の話が来た。7月末のことである。以前から何度も誘ってくれていた知り合いからのお話だった。続いてその会社の方二名から同じような話を持ち込まれた。みんな世話になった人だった。三人から誘われたらもうどうなってもいいからその会社にいってみようと思った。考える力は人情のもとにねじ伏せられた。お三方は長く勤務されていてそこそこの地位を確保していてぼくを雇用するための根回しはとっくに終わっていた。試験も一次面接も二次面接もすべて顔パスで終わった。ぼくは9月で会社を退職した。10月の頭に知り合いの会社の社長面接を受けた。落ちた。
 お祈りのメールが来た時、ぼくは大阪の友人の家にいた。衝撃を受けた。ここまでやってもらって落ちることがあるのかと思った。あるのだ。本当に社会というものは意味がわからない。ぼくは日本縦断の旅に出た。本当にぼくという人間も意味がわからない。10日かけて本州の最西端に向かい東京に帰ってきた。完全な無職になってからは何もしなかった。毎日映画を見たりゲームをしたり読書をしたり寝たり食べたりして過ごした。1ヵ月目は完全な自由ということについてずっと考えていた。ぼくはその時、日本で考え得るほぼ最上の自由を手にしていた。そこそこ健康で食うに困らず家があり時間は無限にあった。2ヵ月目で自由に飽きた。することがない、と何度も思った。実際にはすることはなんでもある。前述の趣味にyoutubeを加えれば消費すべきコンテンツは本当に無限になる。アマプラとネットフリックスには信じられないほどの作品が眠っており、ブックオフで買った未読書が本棚の半分を埋めており、ゲームをすれば一日18時間連続プレイしてもまだ足りない。それでもぼくはすることがない、と考えていた。なんとなく幸福ではないような感じがした。そこでぼくはマズローの欲求五段階説の所属と愛情の欲求について考え始めた。ぼくは何にも所属しておらず、愛情も感じてはいなかった。そもそも愛情というものは他者との関係性の中に生まれるわけであり、その前提には所属がある。所属がなければ愛はない。しかしその考えも早々に打ち砕かれた。愛というものは厳密にはもっとファストなものだった。大事だけれど大したものではない。どちらかというとぼくには所属の欲求のほうが難しく感じられた。そろそろ無職も三ヵ月目になろうとしている。昨日、知り合いから連絡が来た。何もしてないならうちに来て働いたら? という、今となるともう見慣れたオファーだった。お受けいたしますと連絡をして、人に生かされていると思った。いつもぼくは人に生かされている。大変ありがたい。でも心の底から信用しているわけでもない。基本的に社会もぼくも、意味が分からないことをするものであると分かってしまっている。何度でもそれを実感している。無職になってからは心身ともに非常に健康になった。病的な眠気や疲弊、精神汚染がない穏やかな日々が続いている。やはり人間には休みが必要なんだと心から思う。部屋を暗くして屋根裏映画館で好きな映画を見ながらハイカカオココアを飲んでいる。そして、これはなんだろうと思っている。人生というものは一体なんなのだ。ぼくはおだやかな平和を望んでいる人間だけれど、人生はいつもその人間性に反して激動だったように思う。あるいはぼくはそれを望んでいるのだろうか。せめぎあって揺らいでブレて始まって終わってそれでも人生は続いていくらしい。どこからがビフォーで、どこからがアフターなのか、それさえもわからないあれこれの中で、それでもぼくはまだ生きている。
 
 

 

 

今週のお題ビフォーアフター