減点方式

 いま大丈夫? そう。あのさ、最近Tさん調子悪いの、気づいてる? ミスが多くてさ、ちょっとお客さんからもクレーム来ちゃったりしてて、これ公にはしてないんだけど、そう、あんまり口が良くないじゃん、Tさんて、気を遣った話し方ができないっていうかさ、それにアクシデントに対応できないし、慌てちゃうっていうか、だから、最近何かあったのかなって聞いてみたんだけど、何も無いって言ってて、やる気がないわけじゃないってことは分かるよ、でも空回ってるんだよね、で、もうさ、上の人も気にしちゃって、色々言ってんのよ。外黒さん、Tさんと長いじゃん? だからさ……。

 Tさんは一生懸命仕事をするタイプだが、仕事がない時は椅子に変な座り方をして、人目をはばからず携帯をいじるのに熱中している。上司が近くにいようが、客が近くにいようが、気にしない。要するに、そういう不器用さが上の連中の気に入らない。そしてTさんは、自分の態度が他者にどのような影響を与えるのか理解できていない。難しい案件だなあと思う。人がちょっと言ったくらいで変わるなら、Tさんはとっくの昔に「外面」を覚えたはずだが、30を過ぎてなお堂々と携帯をいじっているようでは、自発的な気づきは望めない。変わるためには本人が心から変わりたいと願う必要があるが、おそらくそのような心持ちになることはないのではないかと思う。誰かがへし折るか、誰かが上手くハンドリングしていく他ないのだが、そのような責任を負いたい人間はいないし、Tさんを上手く使えるような才能のある人は、今の現場で、せいぜいyさんかぼくぐらいである。だから上司はぼくにTさんの評価をリークしてきたのだろう。おそらくこのままではTさんは飛ばされる。ありがとうございます、とぼくは開口一番に礼を言った。話を聞かせてくれてありがとうだし、Tさんのことを気にかけてくれてありがとうだ。いまの現場では、人の気持ち・ヒューマンの部分を気にかける人はほとんど一人もいない。しかしこの上司は少なくともそれをぼくに話そうと思ってくれた。あとは上手くやれ、とぶん投げられた感じもあるけれど、それでもやはり、そういう人情の部分がぼくは嫌いではない。Tさんと話してみます、とぼくは呟いた。

 どう話そうかな、と2日間考えた。

 全然まったく気にしなくていいんだけどさ、とぼくはTさんに話しかけた。上司AがTさんのこと気にしてるみたいで、こないだ話し聞かされたよ、なんかTさんが調子悪いみたいだって。ああ〜、とTさんは苦笑しながら、携帯をいじっていた。その話なら直接されましたよ、とTさんは苦笑したまま答える。うん、でさ、考えたんだけど、1ヶ月くらい仕事するのやめよう、とぼくは提案した。Tさんは笑った。何もしなくていいから、鳴りをひそめよう、この現場って減点方式だから、どれだけ頑張っても評価されないよね、成果は0点で、ミスでマイナスになっていくシステムじゃん。ああ、なるほど、そういうことですか、とTさんは呟いた。まあそういう仕組みだから誰も仕事しなくなっていくんだけど、Tさんは今やたら気にされてるから、ちょっと頑張らないほうがいい、というのがぼくの作戦なんだけど。と言うと、Tさんは大きくため息をついて、そうかもしれないですね、と言った。でも、おれにも色々あるんですよ、正論言っても聞いてくれないし、とTさんは言う。それに上司Aだって、色々ひどい人間ですよ、とTさんは言う。ぼくはそれには反論しない。Tさんはありがたくないのだろう。ただ、嫌な気持ちになっただけなんだろう。仕方ないと思う。

 ぼくだって上司Aだってこんな話なんかしたくない。でもそれが分からないなら、仕方ないんだろう。ぼくはTさんを支配したいわけではないし、Tさんのことが大好きなわけでもない。彼には彼の生き方がある。ぼくはそれを尊重しよう。たとえ彼が、職場で追い詰められていくにしても。