ああす。
今年は蜘蛛が少なかったね。愛していたからね、一部の蜘蛛をさ。だからもしかしたらまたわくわく蜘蛛ランドになるのかもしれないと思って不安でもあったんだけれど、来ないとなるとそれはそれで少し寂しいような、人の来るこそうれしけれお前ではなし、みたいな気持ちにもなってね、だったら来るんだか来ないんだか分からないものに期待するより、ずっとそこから動かない、いつまで経ってもそこにいるやつの方が心労が少ないのかなって思ったこともあったよ、地蔵みたいな植物みたいな、ぬいぐるみみたいな、でもさ、植物というのも結局は死ぬね。死ぬんだよ意外と。この間カモミールを落として、洗濯機の前にどんだよ。おがくずみたいな土が床に散乱してその時のショックと言ったらもう、それはもう、わかるでしょう醤油ラーメンたのんだのに味噌ラーメンが来たみたいな、えっ? 狂っているのは自分なのか? それとも世の中なのか? “指がちょっと血を流し始めるまでパーカッション楽器のように酔っぱらったピアノを弾け”、そういう気持ちになってさ、ティッシュでかき集めてさ、土を、その土砂の中にひょろい命が、茎や育ちかけの葉が見えて、この手で殺めてしまったのだ、命を、という気持ちになって、植物でも動物でも命を預かるのはやめようと思ったよ、とか、ぼくはもっと非情な実利的な人間になったほうがいいのかとか、ペットショップのガラスケースの中に何が入ってるかって、命なんだけど、20万円の命なんだけどさ、じゃあこのケースの中に人間の子供が入っていたとしたら、人間のオス、2歳、かわいくて手のかからないアジア人の子供が入荷しました! 特価20万円! みんな買うのかな。そういうことを考えていたら、現代人として失格なのかなと思ってさ、でもどうしたらいいか全然わからないの、ぼくは草を殺してしまったし、大体の観葉植物なんて枯らしてしまうしさ、実家では鳥を何匹も飼ってきたし、鳥はかわいいよ、犬も猫もかわいい、かわいいから檻に閉じ込めたり、紐でつないでおいて逃げないようにしたりしていいんだろうか、あれはもうダチョウではないではないか、って詩人が動物園で書いたやつを思い出すよね、でも最近カレルチャペックの『ダーシェンカ』っていうすごいいい本を読んでさ、ダーシェンカは子犬でさ、ぼくは最初の書き出しの一行を読んだ瞬間に終わった、駄目だこれは駄目だって呟いて本を閉じてベッドの上を転がって、ものすごい愛だった、耐えられないほどに一行目から、この本をぼくは絶対に好きになると分かって、だってすごいよ、“お聞き、ダーシャ。”だよ。最初の、ど頭の言葉が“お聞き、ダーシャ。”なんてやさしい愛にみちた視線、その一言にもう全部入ってる。それだけのくそでかい愛を見せられたら動物を飼ってもいいかという気もするしね、『ノラや』もそうか。飼うという言葉がよくないのか、愛玩動物という言葉もよくないし、ペットという言葉ももう気持ち悪いし、動物に家族という言葉も欺瞞っぽいしね、だからもう人間が飼うんではなく一緒に暮らすんでもなく動物に助けられているくらいの意識でいないといけないのかもしれないな。神に祈るような気持ちで手を合わせて動物達に感謝しなければならないのかもしれないな。“dog is god” そういえばこの間、ペットショップの水槽の中で金魚が死んでいてさ、ひっくり返ってポンプの隙間に挟まっていたんだけれど、周りの金魚たちがおかしくなって、死んだ金魚に群がって体をついばんでいて、食べているのか助けようとしているのか分からなかったけれど、少なくとも金魚たちも、あっあいつ死んでるな、ってわかってるってことなんだよね。なんか魚でもそういう風に、死っていうものを知ってるんだなって。そんでたぶんああやって死んだものを食らったりすることが彼らの死を悼む方法なんではないかと思って、それは自然界のシステムでしかないんだけれど、悼むという気持ちや行動もやはりシステムでしかないんだろうなって。死体がいつまでも残されたままだったとしたら、腐敗菌とかシデムシみたいなやつがこの世にいなかったら、今地上にどんだけの死体があるんだろうね。死体の山をずっとかき分けていったら、恐竜とかが転がっているんだろうな。死んだものを食べてあげるというのはやさしさかもしれないな。ぼくも死んだ仲間を食べておくべきだった。鯨が死ぬとすごいことが起きてさ、鯨は2年間に渡ってあらゆる動物にちょっとずつ食べられていくんだけど、骨が海底にたどり着くと、鯨骨生物群集っていう独特なやつらが集まってきて、そこに小さな生態系ができる。死体の上に小さな世界が生まれる。死っていうのは何もかもなくなってしまうことだと思ったけどさ、死ぬことで生まれる世界もあるんだな。すごいことだなと思ってさ、そういう風にしてあらゆるものが関連してこの世界は機能しているんだなと思ってさ、そういう風にしてぼくも生まれて今ここにいるわけだなと思ってさ、ぼくもこの世界の一部として機能しているわけだから、ちょっと拝んでもらっていい? つまり、ぼくがこの世界を成立させているわけだからさ、外黒さん、世界の一部分を担ってくれてありがとうって、感謝、いいすか?