激しい怒りに我を忘れて

 今日は激しい怒りを感じて我を忘れているので、ややパッショナブルな文章になってしまうことを自らに許し、こうしていつものように机の前にあぐらをかいてふてぶてしく(あたたかく、ほがらかに)文章を打っている俺様、ぼく、わたし、そういえば今日は一人称の話題になって、同僚のミスタOと少し話したのだが、ミスタOはその昔、一人称がぼくだったのだという。それから少しずつ変化して一人称が俺になったのだという。その変化は環境の変化によるものだと聞いた。
 心臓がばくばくしており、ぼくは床をなめくじのように(かわいい子犬のように)のたうちまわり、ぬがっ、ぬがっ! と意味不明な言葉を口走りながら(ほんとうは一服の絵画のように静まり返りながら)、胸をかきむしり(むしらない)、チョコ棒を貪り食い(食わない)、植物を眺め回し(植物はしーんとしている)、最後にはすっくと立ち上がり日本刀を手に取って(ライトセーバーでもいい)、仮想の敵を(マドハンドを想像してください)ばっさばっさと切り伏せ、そうしてぜえぜえと息を荒げ(岩のように落ち着いている)、ストレスの化身になったのだが(この小段落で書いたことのほとんどはぼくの想像であり、つまりフィクションである。フィクションとは何か? それはひとつの比喩である。何十万字を費やしてたったひとつの真実を表現する、それが小説である。俺がこの小段落で目論んだのは、つまりフィクションによる比喩である。私は自分の怒りの様を、フィクションによって表現したのだ。だからここに書かれていることが本当に起こったことではないということで、ぼくが気に病むことはない)、そのストレス・パワーも尽きて(尽きていない)、ついにはベッドの上にどしんと横になり(メロスが眠ってしまったようにね)、そうしている間にくうくうと子犬のように寝息を立て(ぼくは死んだように眠る)、夢の世界にいざなわれたのだが30分で目覚めた。
 環境の変化によって一人称が変化したのは、つまるところセルフ・イメージが変化したのだ、ということができる、とぼくは思う。周りの環境に合わせて、一人称を変化させることで、自分というものの在り方の規定を、自ら環境に適合させたのだ、ということができると思う。そのようにして人間は環境に馴染んでいき、同時にセルフイメージを変化させる。最終的には自分というものの像が、環境によって固まるが、環境は常に一定ではないから、新しい環境に馴染むために更に自分を変化させていく。そうして変化を続けていくうちに、自分というものの確たる像が浮き彫りになってくる。それがアイデンティティとよばれる自己認識である。わたしとはなにか、おれとはなにか、ぼくとはなにか、という永遠の問いに対する自らの答えである。それはいくつもの環境を自分なりにくぐり抜けてきた結果、最も自分のやりかたに適した自分像であるといえるだろう。この小段落に書いたことはひとつ残らずぼくの想像であり、科学的な根拠はない。信じる人はいないと思うが、ぼくは誠実な人間なので念のため書いておく。アイデンティティについて知りたければぼくの日記を読むより心理学書でも読んだ方がいい。
 心臓がばくばくしていて眩暈がしてきた。一体、いつまでぼくは怒りを感じているんだ。あるいはこの心臓の鼓動は怒りではなく何か別の原因があるのか。わからぬ。怒りの原因となった同僚Aの嘲笑から、すでに6時間が経過しているというのに、ぼくは今だにむかむかっ、もやもやっ! としているのである。さすがに懐の広いぼくといえど、ぼく自信に失望している。なんて小さい生き物なのだ、おれは。このおれは、矮小で卑屈でまるくてちいさくてぽよぽよしているんだ、わたしは。こんなに器の小さい人間だとは思っていなかった。みそこなったぞ! と、怒りの矛先がもはや同僚Aではなく自分自身のふがいなさに向かっていることを現時点で認知した。ぼくがぼく自身にたいして怒りを感じているなら、それは6時間だって12時間だって怒っていられるよな、だって生まれてからずっとぼくはぼくと一緒なのだから、いくらでも怒りの材料はある。ぼくは慈悲を乞うべきなのか。許しを乞うべきなのか。自分自身に対して、誠心誠意謝罪しなさい。ぼくはぼく自身に許してもらうために、ぼくに贈り物をしなさい。ぼくはぼくを許すために、ぼく自身に土下座をしなさい。ぼくがぼくに対して怒っているなら、ぼくはぼく自身に許してもらうために、あらゆる手段を用いなさい! この小段落はすこしお茶目に書きました。
 書いていたら少し気持ちがソーィッとしてきた。いい兆候だ。やはり内部に溜め込むマグマより、小噴火を繰り返す小火山の方が爆発力が少ないということなのか。怒りをなんとなく笑いに変えられたら重畳。これが書くことの効能かもしれない。執筆温泉だ。何を書いているんだぼくは、あまりに変なことを書きすぎてだんだん腹が立ってきた。なんだこの文章は、おもんない! でもまあ、今日のところは許してやろう。あんころもちを食って仲直りしよう、ぼく。