なにもしてないなりに

 何をしているのかといえば何もしていない。でもなにもしていないなりに何かは起きる。「それが人生ですよ」とDさんはほほえみながら言った。
 好きな作家の本を電車の中で読んでいて、3ページに一度のペースで泣いてしまう。すぐに読めなくなってうつむいて涙を見せないように周囲に配慮している。電車の中で泣きまくっている男性が私です。好きな作家への好きが自分でも重い。でも、ガリレオさんの実験を思い出してみると、重い物と軽い物は質量に関係なく同時に落下するものである。五目並べのアプリでコンピューターを倒してうへらうへらしている時も、涙も、どちらも同じような場所にゆき着くものかもしれない。
 喫茶店が苦手だということは散々書き散らしてきたことではあるが、書くたびに書き損じてきたようにも思われます。喫茶店が苦手なのは、ひとえにわたくしの対人恐怖症様の性質のためであり、喫茶店側にはいっぺんの非もありはいたしません。いたさないけれど苦手は苦手なので詳細をつまびらかにいたしますと、①人が多い、②人々の目的が合一的でない、③人々がおしゃれ圧を発する、④コーヒーを飲むと具合が悪くなる、という部分が苦手点として挙げられます。ぼくは喫茶店が以上の理由で苦手なので、喫茶店に行きます。意味がわからないかもしれませんが、ぼくは「苦手」とか「嫌い」とか、そういう負の感情をはっきり表明することをわりとしますが、苦手や嫌いを拒絶しているわけではなく、苦手だからやってみるとか、嫌いだけどやってみるとか、ということをするのが、わりと好きです。すごく嫌いな人と仲良くなることもあるし、苦手な食べ物が好きになることもあります。だから、苦手だとか嫌いだとかをはっきり言うけれど、それは現時点での状態に過ぎなくて、いつか好転することがあると知っているので、そういうことを述べておくことは、ぼくへの誤解を減らすことになるのではないかと思い、述べるわけです。そんな風な性質であるのです。
 ここ1週間ほど、仕事のお昼休みに会社を出て、風ぬるむ町をすすみ行き、半地下の小さなうすぐらな喫茶店に入って、コーヒーなどを飲みながら、エレキ煙草を吸うなどしておりました。その喫茶店は、お昼休みに行くと、人間が全然いません。ぼくが喫茶店が苦手なのは人がたくさんいるから、という点が大きなウエイトを占めておりますので、人間のいない喫茶店は、むしろ好きであります。それで、カウンター席で、ぼうっとしながら小説を読んで泣いたり(ぼくはいつも泣いています)、壁際のテレビジョンに映し出された古い映画を眺めたり(古い映画を流す喫茶店なんて最高だぜ)していたのですがあまりにも毎日行くので、マスターが話しかけてくれて、自己紹介をするなどして、顔見知りになりました。ぼくはいい大人の年齢となった男性でございますが、喫茶店のマスターと顔見知りになるという経験ははじめてなので、なんか面白いなあと思いました。おまえ知らない人と話して全然対人恐怖症じゃないやんけこら、と思われる方がいらっしゃるかもしれませんが、何がきっかけで対人恐怖になるか自分でもよくわからないのです。ただ、調子が悪い時は、電車に乗るだけで心臓がばくばくしてきてやべえ感じになります。そんな性質もありましょう。ライオンだって狩りをしない時は寝ています。ぼくの対人恐怖はライオンです。
 ところで今、顔面パックをしてこれを書いています。ヒアルロン酸のはいったパックです。顔がスケキヨみたいになっています。ぼくは「ラーメン屋」か「格闘家」か「食パンマン」と言われるタイプの顔をしているのですが、そんな顔の人が顔面パックをしながらこれを書いているのだ。と想像するとすこし面白いかもしれませんね。それとも、面白くないでしょうか。わかりません。ぼくはあなたのことをよく知りません。あなたは誰ですか。ブログというものは誰が読むのかわからないものでしたね。すっかり忘れていました。読者層を想定することが大事! とネットで読んだので、ぼくはこれからあなたを小学生だと思って書くことにします。
 ぼくはおとななので、じぶんでせんたくをします。さっき、せんたくをしたら、へやがみずびたしになりました。ゆかにおおきなみずたまりができたのです。せんたくきのホースを、はいすいこうからだしたままにしていたから、そうなりました。いいか、小学生。おとなだってしっぱいします。しっぱいをくりかえさないことがだいじなのです。しっぱいをくりかえすと、じぶんがきらいになってしまいます。じぶんがきらいになると、よのなかのぜんぶがきらいになってきます。そうなると、はんざいしゃになります。はんざいしゃになると、くさいめしをたべなければなりません。くさいめしをたべたことがなかったら、たべてみてください。なにごともけいけんです。へやがみずびたしになって、ぼくはかたづけのたいへんさをしりました。それもよいけいけんだったなといまはおもいます。だいたいのことは、よいけいけんだったな、とおもえるようになってくるので、しっぱいしても、まあけっこうだいじょぶです。いいか、小学生。ひとにわらわれても、ひとをわらうようなにんげんには、なるんじゃないぞ。
 Tさんからバレンタインデーにチョコレートのつぶをひとつもらったので、おかえしにストレスが減ると書いてあるチョコレートを渡しました。「ありがとう」とTさんは言い、わらいました。ぼくはそのとき、なぜか無性に自分のことが気持ち悪くなり、やめればよかったなと思いました。悪い事をしたわけでもないのに、否定的な感情が生まれるたびに、人間に向いてないなあと思います。