迷い道を駆け抜ける

 スターティングブロックに足を乗せ地面に両手を伸ばして指を立てる。ピストルの音が鳴ると収縮していたエネルギーが爆発的に解放され体は地面と水平に打ち出される。作用と反作用。ぼくが地面を強く蹴ると、地面が同じ力でぼくを押し返す。視界がぼやけて狭くなる。前傾姿勢のまま最初の五歩をより遠くへ伸ばす。蹴り出したスパイクが土をえぐっていくたびに全身に強い加速が伝わる。風が流れる音がする。それからはもうずっと浮かんでいる。体が極端に軽く、重力は減少して、あとは慣性がぼくをゴールまで運んでくれた。
 陸上部だった。
 
 小学生の頃はまるまると太っていた。運動音痴だったし、足も遅かった。球技も苦手だった。ゲームだけしていたいとずっと思っていた。しかし、中学生になると必ず部活に入らなければならないという決まりがあって、仕方なく陸上部になった。仲が良かった友達がみんな陸上部だったから、という消極的な理由だった。陸上部は各競技の練習の前に軽くグランドを何周か走るのだけれど、その時点でいつもバテていた。全く適性がなかった。ぼくは砲丸投げに入った。砲丸投げに行った友達はみんな太っていた。今考えると、それもなんだかおかしな話だ。砲丸投げで成績が良かったかというと、そんなこともなかった。ぼくはただ太っていただけで、筋肉があるわけではなかった。
 それから種目を変えて短距離走の選手になった。どうしてそうなったのかは覚えていない。たぶん砲丸に飽きたんだと思う。短距離走の練習をしているうちに痩せてきた。体が軽くなった。生まれつき足の速い選手はたくさんいたので、ぼくは全然期待されていなかった。でも、前よりもずっと速く走れるようになっている自分に気づいて、楽しかった。練習をすると、どんな人間でも変わるものらしいと気づかせてくれたのは短距離走だったと思う。筋トレのメニューをこなしているうちに筋肉もついてきた。腹筋も割れた。腕に力こぶが出来るようになった。成長期だった。自分と同じくらいの重さのバーベルを持ち上げられるようになった。スパイクを履いて走ると、今まで感じたことがない速度で走れるようになった。生まれてはじめて走るのが楽しいと思えた。丸かった顔が、しゅっとしてきた。苦手だった運動が、それほど苦手ではないかもしれないと思えるようになった。バック転も出来るようになった。県大会の予選でビリだった。ぼくは短距離走を辞めた。
 中学三年、ぼくは走り高跳びをしていた。楽しそうだったからだ。学校に選手は三人しかいなかったから、ものすごくのんびりした種目だった。同級生の女子がひとりと、下級生の男子がひとりいて、みんなあまりやる気がなくて良かった。いつもだらだらしていたように思う。走り高跳びもそれほど成果が出なかった。まったく練習したことがない男子が体育の授業でぼくより高く跳ぶなどということもよくあった。身体能力というものは才能だとつくづく思った。陸上競技の中では、走り高跳びが一番面白かった。体が高く飛んで浮かんでいる感覚が面白いし、体をひねってバーをかわすのは気持ちがいい。県大会の予選でビリだった。ぼくは陸上部で何も成果を得られないまま卒業を迎えた。
 
 人に言えるような結果を残したわけではない。選手生命が始まってから終わるまで、ずっとぼくはしょうもない選手だった。でも、たしかに得るものがあった。それは間違いなくぼくの人生によい影響を及ぼしていた。努力すると人間は変わる。やってみると楽しいことがみつかる。できなかったことができるようになる。コンプレックスがひとつ減る。それらの体験はとても得難いと思う。楽しそうなことはなんでもやってみればいい。合わなかったら辞めて次を探せばいい。楽しそうなことなら世の中にいくらでもあふれている。そういう風に考えられるようになったのは、部活のおかげかもしれない。
 大人になった今も、ぼくは時々走っている。川沿いの、誰も人のいない長い道をのんびりと。そして時には、全力で、飛ぶように、浮かんでいるように走っている。
 結果を残すためではなく、走る楽しさを知ったからだ。

 

 

今週のお題「わたし○○部でした」