ぼくはものすごく正直者で、高校生くらいからほとんど全く嘘をつかずに生きてきたので、嘘がものすごく下手だから、嘘が必要な場面で嘘がつけないという事態が発生して、困る。
困るのは嫌なので、嘘をつく練習が必要だと思う。
ということで、これからぼくは嘘を書く。
ここからは嘘の話である。
今日、喫煙所で同僚と話した。
同僚は過去に不動産の営業をしていた。
そこでぼくは試しに「ぼくは不動産の営業に向いてると思う?」と聞いてみた。
同僚は言った。
「投資とかだと、じいさん達を騙したりすることに抵抗が無ければ向いてますよ。賃貸とかだと、嘘の比率はもうちょっと減りますけど、でも嘘をつくことは絶対必要な職業です」
「ぼくは嘘が下手だから駄目だなあ」とぼくは言った。
嘘をつく能力って、必要らしい。
なんでもいいので嘘をついてみてください、って人に頼んだら、一体人はどんな嘘をつくんだろう?
楽しい嘘だろうか、悲しい嘘だろうか、それとも、なんにも起きないような嘘なんだろうか。
昔、インコを飼っていた。
ぼくが小学三年生ぐらいの頃に飼っていたインコで、太郎という名前だった。
名前は母がつけた。母は太郎の前に適当な言葉をくっつけて呼ぶのが好きだった。
とり太郎とか、まめ太郎とか、くそ太郎とか、そんな感じだ。
太郎が飛んでいる時はとり太郎と呼んだし、太郎が鳥餌を食べている時はまめ太郎と呼んだし、白い鳥ふんをした時はくそ太郎と呼んだ。
太郎は父が大好きで、いつも父にくっついていた。肩に乗ったり、頭に乗ったりした。
父の頭の上によじのぼった太郎は、いつも遠くを見て、首をかしげていた。鳥がよくやるしぐさだ。
父もまた太郎が大好きだった。手に餌を乗せて食べさせたり、太郎の小さな頭を指でなでたりするとき、いつもとても優しい顔をしていた。
太郎はぼくにはなつかなかった。ぼくが太郎に触ろうとすると噛んだ。姉が触ろうとしても、おなじようにくちばしでかみついた。どうしてそうだったのかよくわからないけれど、もしかしたら太郎は、人間の子供がきらいだったのかもしれない。
ある時、家に叔父と赤んぼがやってきた。
父と叔父は酒を飲んでいた。そして父はかごから太郎を出した。太郎はいつものように、父にまとわりつき、平和そうにしていた。
叔父は赤んぼに太郎を触らせようとした。叔父は小鳥というものをおとなしいものだと勘違いしていた。人間を恐れるだけの小動物に過ぎないと高をくくっていた。その思い込みはまるきり間違いだった。
太郎は赤んぼの指にかみついた。小鳥のくちばしは鋭く、かみつく力は人が思っているよりずっと強い。赤んぼの小さな指から血が滲み、赤んぼが火がついたように泣き出した。
叔父は笑って赤んぼをあやし、ほどなくして帰宅した。
父は怒っていた。
ぼくと姉は、太郎が殺されると思った。
しかし太郎は殺されたりしなかった。
太郎は、その日を境にぼくや姉を嚙まなくなった。
太郎は、父に怒られて心を入れ替えたのかもしれない。
ぼくや姉の指に乗るようになったし、ずいぶんおとなしくなった。
父によじのぼることもなくなった。
母はその鳥をただ、太郎とだけ呼ぶようになった。
嘘の話である。