「お父さんと〇ヶ沢にキャンプ行った時のこと覚えてる? あんたすごいちっちゃかったから覚えてないかもしれないけどさ、お父さんとあたしとあんたで星を見に行こうって話になって、キャンプ場からすこし離れた草原まで歩いて行ったの」
ぼくは覚えていなかった。
父は野生児だったから、ぼくと姉にアウトドアの面白さを教えようと、様々な場所に連れて行ってくれたことは覚えている。
しかし突然姉が話し始めた思い出についてはまったく覚えていなかった。
「そこにめちゃくちゃUFO飛んでたんだけど覚えてない?」
笑ってしまった。UFO? なんの話なんだろう。
「光がびゅんびゅんって動いて、お父さんもなんだあれってびっくりしてさ、絶対UFOだったんだよ」
きっとよい思い出だったのだろう、姉は楽しそうに話をしていた。
ぼくは姉とお父さんが幼いぼくを連れて暗い草原で空を見上げている図を想像していた。彼らはみんなUFOを見て驚いている。それはとても幸福そうな、不思議な光景だった。
ぼくは何も覚えていないことが悲しかった。
知らない記憶が増えていく。
家で映画を見ている時、眠気に耐えられず眠ってしまうことが多々ある。
今日も寝てしまった。
地下鉄をハイジャックした強盗犯と地下鉄の管理者との交渉をテーマにした映画で、とても面白いんだけど耐えきれなかった。
1時間20分ほど見たところで眠ってしまい、気が付くとエンドクレジットが流れている。
再び動画のシークバーを1時間20分に戻す。地下鉄の管理者が強盗団のボスと対面するところだ。頑張って観ようと思うけれど気が付くとクレジットが映っている。
もう何度か眠ってしまっているんだから今度は大丈夫だろうと思い1時間20分に戻す。地下鉄の管理者が厳しい顔で強盗団のボスと対峙する場面だ。見始めるけれど気が付くとクレジットが流れている。
また地下鉄の管理者が強盗団のボスに会いに行く場面。そしてエンドクレジットが流れている。
こんなに眠ってしまうのは初めてかもしれない。とにかく眠い。目が覚める。ぼくはどこまで見たんだったか。先輩からメッセージが届いていて、戻ってきてって言われていたんだった。ぼくは巨大な劇場のような場所にいて執務室に走って戻る。先輩が数人の同僚と共に机を囲んでいて一枚の紙に目を落とし「ちゃんと書いてあるのに、どうして書いておいてくれないの?」と言った。眼鏡をかけたショートカットの先輩だった。弱弱しい声で、いまにも泣き出しそうだった。ぼくはそこまでは覚えている。でも映画にそんなシーンがあっただろうか? たしかアクション映画だったはずだけれど、とぼくは思った。
それから1時間20分にシークバーを合わせると、いつものように地下鉄の管理者が強盗団に会いに行くシーンだった。
一体何度このシーンを見ればいいのだろう、と思いながらぼくは眠りに落ちる。
「アレクサ、ボブ・マーリーかけて」
アレクサはポーンと変な音を鳴らした後、
「アマゾンミュージックで、崖の上のポニョを再生します」と言った。
アレクサは時々ものすごくわけのわからない聞き間違いをするので驚いてしまう。
崖の上のポニョの作中で使われたであろうしんみりしたBGMを聴きながら、ぼくはしばらく曇りの光を眺めていた。