なにも言わずに隣にいてくれ

 ゲームをしている。
 このゲームは3人チームで行われる。
 わたしはこの二カ月間、友人2人とdiscordで通話しながらゲームをしていた。
 野良で参加する時は、まったくの他人と3人チームを組むことになるので、通話はしない。無言でゲームは行われる。
 無言でも多少のコミュニケーションをとることが出来る。あっちに敵がいるぞとか、こっちから変な音がするぞとか、あの建物を見に行きたいぞ、みたいな定型の意思表示コマンドが用意されている。
 そのような定型コマンドでさえ明らかな個性を感じることが出来る。
 意思表示せずに走りだす人もいる。勝手に突っ込んでやられてしまう人もいる。神経質なまでに報告を送ってくれる人もいる。仲間のライフが少ないのをいち早く察知して回復アイテムを投げてくれる親切な人もいる。走り回って飛び跳ねて無邪気に遊んでいるだけの人もいる。キャラクターの行動には表情も言葉もないのに、非常にたくさんの情報が含まれている。
 そしてわたしはそのような非言語的コミュニケーションがものすごくとても好きだ。突然敵に撃たれてびっくりしておろおろしている仲間を見たりすると「人間だなあ」という気持ちになってほっこりする。冷静に撃ち返している人を見ると「この人はすごうでだなあ」と思ったりする。
 まったくの他人とチームを組んでいると、時々とても相性のいい人たちに出会うことがある。おたがいに指示を出さなくても、この人がどこを見ているのか、何をしたいのか、どうやって戦うのが好きかというのが分かる。射線でさえ言葉であり、意思表示であり、コミュニケーションだった。ここに一体感というのがあって、これが結局は純然たるスポーツだった。
 そういうチームとゲームをするのはとても気持ちがいい。勝てなくてもすばらしい気持ちだ。野良のチームは一度きりの即席チームなので、おそらく二度と会うことはない。それでもなんか急に他人の操作するキャラクターが私の隣に立って、特に何をするでもなく同じ方向をぼうっと見つめているだけのような瞬間は、消費される宿命の言葉がないからこそ、ちょっぴり永遠だった。