日記

 いつもの暗い部屋に陽射しは刺さない。光はカーテンに遮られている。暗闇がわだかまっている部屋。エアコンの冷気が洞窟の底みたいな空気にしている。静かだ。壁の向こうからわずかに自動車の走行音が聞こえてくる。車には人間が乗っている。実にさまざまな、多種多様な人間が乗っている。そそっかしい人や、やさしい人や、男や、女や、チョコミントが好物の人や、ビーチコーミングが趣味の人が。ぼくたちは海水浴場で車を降りた。海まで500mも砂浜が続く、おかしな海水浴場だった。青空はどこまでも広く、鳥は一匹も飛んでいない。風が強すぎるからだ。砂浜を蛇のような砂煙が幾筋も走っている。目や口に砂粒が入る。風紋が地面を波立たせている。ひょろひょろした乾燥に強い草が時折り頭をのぞかせている。中身の無い貝がわずかに濡れ、砂に埋まっている。足跡は頼りなく蛇行している。波が高い。スプーンでアイスの表面を削り取った時のような、巻いた波だ。サーファーが等間隔に揺れている。ぼくたちは長い砂浜に立ち尽くし、大人になるにはどうすればいいのかを話し合った。ぼくと友人は、先日誕生日を迎えたばかりだった。腕の肉がえぐれ、白い脂肪まで見えている、顔の青い少年が国道の脇に立っていた。少年は痛がってもいないし、恐れてもいない。ただ、気まずそうな顔をして傷口から真っ赤な血をだらだらと流したまま、救急隊員が来るのを待っていた。救急隊員は3人のおじさんで、走るでもなく、慌てるでもなく、きちんと信号を待って少年に近づいていった。首に保冷剤を巻いたアロハシャツの男は、渋谷駅のホームの支柱にもたれかかり、その瞬間にシームレスに吐いた。実に自然だった。吐瀉物はチョコレートみたいな色をしていた。改札の前に座り込んだ髪の長い女はうつむいて、三角座りをして自らの髪の中にうずくまっていた。その横にあぐらをかいた女が、うずくまる女の頭頂に、そっとペットボトルを立てた。トランプタワーを作る時の慎重さだった。うずくまる女は微動だにせず、あぐらの女は実に楽しそうな顔をして笑った。ぼくたちは寿司屋に入った。祖母の家のような寿司屋で、店員もおらず、客もいなかった。時代を感じさせる重い静寂が埃のように建物すべてを覆っていた。店の奥からスリッパの音をさせながら、声の大きなおばさんが現れた。ぼくは久々にゲームをしていた。すると元上司から電話が来た。「今何してた?」「ゲームしてました」「一人で?」「はい、一人で」「ふうん、そうなんだ」元上司は言外に「ゲームをしていたなら暇だったんだろう」というニュアンスを漂わせ、通話を続けた。ぼくは、ゲームをするために時間を作っていた。暇つぶしのためにゲームをするのではなく、ゲームのために働いている。価値観が根底から違っています。