思うところ

 最終電車ガチ勢です。今日もぼくは終電に乗っており、本当はあと1時間早く帰ってもいいのだけど仕事の不安が大きいのでいつまでも確認作業を行い残業代を稼ぎまくってしまう。多分、そのうち上司に残業が多いことについて追及されるのだろうが、その日までぼくは異常なまでの確認作業を続ける覚悟です。

 この間、元上司から電話が来て、最近ミスの多かった彼の契約が終了したことを聞かされた。やれやれ。上司がぼくに相談したのは、彼をどうにかして矯正してほしいという願いがあったわけではなく、飛ばす前の布石に過ぎなかったらしい。飛ばすことは既定路線で、感情的な下地を作っておこう程度の相談だということだ。残されるぼく達のための説明責任的な相談だ。人間というのは果てしなく面倒くさい。ありがたくもあるけど。あまりにも人員の入れ替えが多いと現場はいつまでも荒れたままだし知識も経験も蓄積されない。いつまでも初心者の集団のままでは仕事の成果も上がらない。教育コストに振り回されミスは減らずいつまでも忙しいままだ。ということに上の人が気づいていないわけはないけれど、では何故彼が飛ばされるのかというと、もう単純に彼が煙たくて仕方なかったからなんだろう。仕事だろうが学業だろうが人間関係がすべてだということは散々言われてきたことではあると思うがそれを何度でも実感するし、そしてその気持ち悪さも充分に味わってきた。彼が次の現場で活躍できることを祈っている。彼が生き生きと生きられる場所は必ずどこかにある。学ぶことはあるかもしれないが、落ち込む必要は微塵もない。

 バイクで転んだ。バッドエンドをひとつ回収できた。S字の出口だった。傾けたバイクが突然死んであっ、と思うまもなくぼくの股の下でバイクはぱたんと倒れた。何が起きたのかよく分からなかった。シートの下に腰をねじ込んで200キロの死体を起こした。震えていない息をしていないバイクは本当にとてつもなく重い。意識のない人間と同じようにずっしり重い。バイクにまたがってふと気がついた。地面に染みが広がっている。バイクの体液だ。オイルなのかガソリンなのかあるいはぼくの知らない何かなのかもしれないが、明らかにバイクの体液だ。死んだ虫みたいだ。どんどんバイクが生き物めいてくる。ぼくの知らない何かになってくる。こいつらは倒れたりすると、きちんと血が出る。黒い染みからしばらく目が離せなかった。

 一緒に教習を受けた人が身長150センチの女性だった。彼女がCB400SFにまたがると、つま先しか地面につかない。200キロをつま先で支えるのはとても怖いと思う。彼女はUターンに失敗して体ごと転んだ。それからあのクソ重い死んだバイクを起こして、またがった。ぼくが見た教習所の人たちの中で一番かっこいいと思った。一度も転んだ事がない人より、転んでも起き上がる人のほうがぼくは好きだ。

 ひろゆきという有名な人が、ぼくの故郷を訪れた動画で、開口一番に、何もないですね、と言った。真実だ。何もない。ぼくの故郷を楽しめる人は、何もなさの中に、何かを生み出せる人だと思う。その力がなければ、ただ何もない町、でおしまいだと思う。同僚が、ぼくの故郷について聞いてきたので、勇気を出して、泳いじゃいけない海とかで泳いでください、それが一番面白いので、と言ってみた。共感は得られなかった。やんちゃ発言と思われたのかもしれない。でも、ぼくは真実を言っている。泳いでもいい海というのは、海水浴場のことだけど、海水浴場は海に繋がった水溜りでしかない。本当の海は、人間が管理していない海は、もっと豊かで美しく、危険でグロテスクで、果てしないものだ。せっかくだから、そういうところに行けばいいのに、と思う。見たこともないウニとか、毒々しい海綿のキモさとか、なんか砂から生えているぶよぶよした透明な卵とか、クソでかいアブラメとか、そういう野生がテレビの中ではなく目の前にあり、そして泳いでいても別に何も言われないのに、どうしてそれがわからないのだろう。ぼくは同年代と比べるとあまりものを知らない人間だと自分で思っていたが、でも周囲の同年代は銛で魚を突いて獲る方法も知らないんだよな、と考えると、ぼくだけが何も知らないというわけではないと思えてきた。ぼくはちゃんとした海に誰かを連れて行きたい気分になった。