もがもが生きている

 夏なので暑いけれどもがもが生きている。エアコンは25℃で風量は1にしている。微風だけれど結構間に合うことが分かった。出かける時はミニ扇風機を装備する。歩きながらつけている。ぼうぼう風を浴びているものの、熱風では何も冷めることがない。時速60キロの風であれば気温が30℃でもそれなりに涼しくなるということはバイクで判明したけれど、それほどの風量はミニ扇風機には望めない。科学の力に頼る事にして、クビに巻く太い冷却材みたいなのを買った。Amazonで1500円くらいで、気温25℃以下で凍結するという怪しげな物質の充填された首巻だ。沸点の逆の、凍結点が高い、みたいな物質なのだけれど、よく考えてみると、25℃で凍結するものって25℃なんだよな。25℃で凍るからといって0℃の氷になるわけじゃない。水は0℃で凍るから氷は0℃だけど、25℃で凍る物質は25℃の氷になるだけなのだった。とても面白い。この謎物質が、じゃあ使えないのかというとそうでもない。25℃は体温より10℃ほど低いから、ちゃんとほんのり冷たい。ほんのり冷たいということは、排熱するということだ。接触冷感は冷たく感じるだけで、感触が冷たいというだけで実際に冷えるわけではないけれど、25℃は実際に冷たいので熱い肌と触れることで熱は交換される。冷える。この、熱を捨てる、冷たいと熱いを交換するという考え方が重要なんだなとわかってきた。空冷と水冷。冷たいものに熱いものが触れ続けると、いずれお互いの平均的な温度におちつくことになる。松岡修造と綾波レイが30年くらい一緒にいると、ふたりとも普通の人間くらいの温度感になる。
 文章を書く能力や精神力や集中力がまるで無くなったので、文章を書くこと以外に時間を使っている。主にゲームをしている。RDR2だ。何年も前のゲームだけれどsteamでセールしていたので買った。PS4で一度クリア済みで、その時はだいぶハマった。めちゃくちゃ面白い。明らかな名作であり、ぼくが中学生の頃にやっていたら人生を変えていたかもしれない出来だった。そんなゲームをどうしてまた買ったのかというと、PS4のソフトは姉が勝手に売ってしまったからだった。売るなよ、人のゲームを。笑ってしまう。人生には色々なことが起きるなあといつも思う。RDR2からはとてもたくさんのことを学ぶけれど、今回のプレイで一番思っていることは、ぼくはおっさんが好きなんだってことだ。書いていてとても気持ち悪い感じになったが、そうなのだった。ぼくは昔からかっこいいおっさんが好きだ。ブルース・ウィリスジャン・レノ、ポルコ・ロッソなどのおっさんは若者主人公よりぼくを惹きつける。なんでだろうって考えてみると、彼らはなんというか、乾いているからなんだろうな。砂漠なんだろうな。ぼくは砂漠が好きだなと思う。ハリソン・フォードも好きだ。あとブラピも好きだ。ブラピは狂った役がとても上手いから好きだ。RDR2では動物を狩って皮を剥いで肉屋に売りに行っている。するとお金をもらえる。1ドルとか、2ドルとか、お小遣い程度のお金をもらえる。ゲームを進める上で、それは別にやらなくてもいいようなはした金なんだけれど、ぼくはこういうはした金をもらえるミニクエストみたいなやつがものすごく好きだ。自分でもよく分からないけれど、何かを採取して、それをどこかに持っていくと、お金が支払われる、という単純明快なシステムに憧れのようなものがあるんだと思う。これは生活の延長のように見えるけれど、実際に仕事をして生活をしてみると、大きくかけ離れているように感じる。ぼくは仕事をして賃金を得ているわけだが、ぼくの行動が換金されている、という実感に乏しい。ぼくは狩りをして獲物を売る、ということ以上の、もっと複雑な工程を何十何百と重ねて働いており、しかも賃金は銀行に振り込まれるという、複雑怪奇なシステムを使って生きている。獲物を取る、それを売る、金をもらう、シンプルな仕事の在り方に憧れるのは、ぼくが仕事の実感を失っているからだろう。人間にはそういう実感が必要なんだと思う。極端に単純化するなら、アクションとリアクション、ただそれだけのことが、大きな社会の仕組みのために、もはやブラックボックスになっている。ということも、RDR2をやると学んだり、気づいたりする。
 今日は仕事の休憩時間を使って、会社の近くのステーキ屋で、チキンステーキとハンバーグセットを食べた。ライスサラダセット付きで1300円くらいだった。たんぱく質だったらなんでもいいやと思って食べた。このステーキ屋のハンバーグはあまりおいしくない。くさいハンバーグとぼくは呼んでいる。なに臭いのかよくわからないが、なんというかスパムみたいな感じの、独特なにおいだ。ナツメグではない。牛肉の味もあんまりしない。豚感は強いけれど、それ以上にもっとなんか、ケチャップみたいな甘さもあるし、とにかくあんまり食べたことのないくさみがある。と、文句みたいにいっぱい書いたが、ぼくはおいしくないものでも平気で食べる。おいしくないと苦手は違う。苦手なものは食べられない。だからこれからもそのハンバーグをくさいなあと思いながら食べ続けると思う。チキンステーキは普通においしい。なによりチキンもハンバーグもたんぱく質であるところがいい。でもどうせならシュラスコのような、世界で一番うまい肉料理を毎日食べたいものだなと思う。思うが、毎日ラーメンを食べていた最近の食生活の中では、わりとまともな食べたなあとも思う。
 ぼくは人間のうつくしい部分よりもみにくい部分によりその人の個性のようなものを感じて愛らしくなるなあと思う。うつくしさは平均化されるけれどみにくさは尖って突出しておりユニークという感じがする。かといってみにくい部分を見たいかというと別に見たくはない。
 明日働けば休みだ。明日はすこし緊張する仕事が待っている。早く寝て備えようと思うけれど、もう四時だった。