本当に好きなこと

 ウメハラさんの講演の動画を見た。
 彼は日本ではじめてプロゲーマーになった人だった。
 人生について、というようなテーマだったように思う。
 好きなことをやりなさい、という結論だったように思う。
 好きなこと、に対する解像度が非常に高かったので、ぼくは感銘を受けた。
 好きになるということはどういう現象なのか、本当に好きなものがあるという状態になると、人間に何が起きるのか、という話をしていた。
 ぼくは何人かの顔を思い浮かべた。
 
 ひとり目は、姉。
 彼女はマンガとゲームがとにかく好きだった。まだオタク文化が浸透していない日本で、彼女はオタクだった。その頃、オタクという言葉はまぎれもなく蔑称だった。姉は小学生の頃から絵を描き始め、中学生になっても描き続け、高校生になっても描き続けた。マンガ本は部屋からあふれていたし、姉の体には時々スクリーントーンが貼りついていた。姉は同人誌を描いていたし、雑誌にイラストを投稿していたし、何度かコスプレもしていた。親にはもちろん、めちゃくちゃに叱られていた。一日中部屋に引きこもりマンガばかり描いて将来どうするつもりなんだ、というようなことで頻繁に喧嘩していた。ある日姉は東京へ行くと行って姿を消した。何年間か音信不通になった後、彼女は本物のクリエイターになった。それからずっと作品を作って生活している。
 それがどれくらい暗い生活だったか、ぼくはずっと見てきた。彼女はものすごく窮屈だったと思う。でも結局のところ、姉は好きなことをやり続けた。信念とか哲学とか、そういうものもあったかもしれないけれど、本質はもっと単純で、好きなことが好きすぎて、やめられなくなったんだと思う。そして本物の好きという気持ちは、常にそういうものなんだと思う。誰に何と言われようと何を犠牲にしようと、やめられないこと。
 
 ふたり目は、友人。
 アニメとゲームが好きな友人で、見るからにオタク、という感じだった。彼とは高校で出会った。彼はとにかくゲームをやっていた。ひとつショックだったエピソードがある。ぼくはあるゲームで6000ポイントを手に入れて、それはまあまあ高得点だったように思ったので、同じゲームをしていた友人に何点だったか訪ねたことがある。彼は60000ポイントだった。ぼくはその時、ゲームが好きというのはどういうことなのかを知った。彼はぼくが本を読んだり、映画を見たり、ネットをしたりしている間、ずっとゲームをやっていた。すべての時間でゲームをやっていた。それがゲームを好きだということだ。彼はゲームをやりすぎて大学を留年した。当時、ぼくはそれを笑い話として聞いていたけれど、今となってはとても笑えない。留年するほどの「好き」がどれほどの力を持っているのか、知ってしまった今となっては。彼は日本でもよく知られるゲームの大企業に就職して、ゲームを作る側になった。何かを好きすぎると、結局は必ずそういうことになる。というか、それが好きということなんだと思う。それは常識を外れていくことだし、とても不安なことだし、おそろしいことだ。しかし、それでもやめられないことだ。