いなふいなふ

 午前八時に目覚めた。
 眠かった。すこし寒かったのでマイクロファイバー毛布がぬくかった。くしゃみが出た。
 ぼくは何か重要なことを忘れているような気持ちになって寝返りを打った。
 それはもやもやと人の形をしていた。なにかの物語のワンシーンが再生された。しかしその物語はつかみどころがなく、ただ強い感情の残滓だけが脳裏にこびりついている。
 なにかしなくてはならない。でもそれがどうしても思い出せない。衝動を手探りしているうちにだんだんと覚醒が強くなる。目覚めていてもなお、半分夢の中にいる時の症状だった。頻繁にそういう状態に陥る。眠りが浅い事の害だろう。
 完全に覚醒するために1時間ほど要した。現実の強い力が行動を起動する。ぼくは今日、勉強する予定だったことを思い出した。毛布から出て机の前に座りPCを起動する。そして研修の動画を見る。4時間ほどさまざまなカリキュラムをこなさなくてはならない。業務の一貫だ。といっても難しいことはない。動画の再生ボタンを押したら、あとは寝ていてもいい。ただ、ぼくは貧乏性なので一応は動画に目を通すことにしている。勉強は割と好きな方だ。ただ、学校の授業は嫌いだった。学校の授業というのは多人数に効率よく社会活動や最低限の教育を施すための方法なので、各個人に我慢を強いるわけで苦痛が伴って当然なのだが、それが当たり前のように今も行われていることにぞっとする。本来、勉強というのは個人がやりたいことを、個人がやりたいようにやるのが最も効率がいい。ぼくは現在、個人で勉強をしているわけだから、とても快適に勉強ができる。とてもよい。いなふいなふ。ぼくは「社会人必須の主体的コミュニケーションスキル」というカリキュラムの動画を再生し、ベッドに横になった。寝ながら見る研修動画は最高だ。
 お昼ごろ研修を終える。事前の計画通り、一日ですべての研修動画を見終えることができた。それもまだ日が高いうちに。すがすがだ。お昼ご飯を食べましょう、と思った。スパティフィラムに葉水をして陽当たりの良い場所に鉢を移す。最近は日光が弱まったので、スパティフィラムはすこし元気がなくなってきている。そのあとでコーンフレークを食べた。最近の朝食、というか第一食はシリアルが多い。シリアルって不思議なもので、食べられる時期と食べられない時期がある。食べられない時期には、一口食べただけでもうお腹いっぱいになってすこしもおいしく感じられないのだが、食べられる時期に入ると何も気にならず空気を食べているような感じでばりばり食べられる。不思議だ。
 一食食べた後は昼寝をした。昼寝をしている間、ずっと「何をしようかな」と考え続けていた。まだ陽は沈まぬ、とメロスのようなことを考えながら。何をしようかな、という思考は回転し続けるだけでゴールへはたどり着かない。可能性が生まれると、ネガティブな要素も同時に発生し、ぼくは選択肢を相殺する。そのゲームをぼくは生まれてからずっと続けてきた。ゲームは非常に苦痛なのだが、飽きないところみると、おそらくぼくはそれが好きなんだろう。
 レンタル自転車で町の中を走り回った。何もしたいことがなかったし、どこにも行きたくなかったんだろうと思う。ただ、家の中にいたくなかったのだろう、と思う。そういう日は普通にあるし、そういう気持ちで家を出ることが不純な動機だというわけでもない。退屈なわけでもない。ただぼくはなんとなく物足りないような気持ちになっている。その曖昧な不満感は、白昼夢の特性とよく似ている。
 帰宅して大富豪のドキュメンタリーを見た。すごくよくはたらくおじさんだった。
 それからすこし世界の写真集みたいな本を読んだ。最近は文字だけの本よりも、図解だったり写真がたくさん載っている本が好きだ。読書の先祖返りというか、子供の頃読んでいたような構成の本が読みたい気分だ。
 それからいつものトレーニングをして、いつもの風呂に入った。
 のんびりとした一日だったが、ストイックに数々のタスクをこなしたので、充実していたと言えるだろう。こういう一日もよいものだ。いなふいなふ。