電話をかけ続ける。20分に一度、電話をかける。
かける相手はばらばらで、相手はぼくのことを良く知らない。
ぼくも相手をよく知らない。
しかし、ぼくには伝えるべきことがある。聞かなければならないことがある。
自分のために作った台本を読む。電話越しに相手に聞かせる。
ぼくが決めた言葉、ぼくが打った句読点、ぼくが作った間。
想定した返答。
どの相手にかけたところで、大抵は同じような答えが返ってくる。
望んだとおりの答えが返ってくる。
それはぼくが決めた質問が一定だからだ。
しかしながら、どれだけ準備をしてシミュレーションを重ね、経験を積んでも、電話は疲れる。
すっかりくたびれてしまった。
根本的にぼくは、会話をするのに向いていない人間なのだと思う。
そのことに対して負の感情はない。
会話に向いていなくても、人間はそれなりに生きてゆける。
「外黒さん、電話上手いですね」と、側で聴いていた先輩が笑いながら言った。
曖昧に笑うほかなかった。
電話をしているわけではなく、台本を読んでいるだけだと思った。
お天気が涼しい。とてもよい気分だ。あしどりもかるい。
今日はシャツを三枚捨てることにした。
もったいないので、はさみで背中の部分だけ切り取った。
ひろい一枚の布ができた。この布で何か出来るかもしれない。服だったものから可能性を切り抜くことができる。可能性は好きだ。たぶん、どんなものより可能性が好きだ。
秋用の服を何枚か出して、少ししわが出来ていたので洗濯をした。
洗濯のホースから水が出てきたので、切り抜いた布を二枚使って床をふいた。
可能性は潰えた。
東京には鈴虫がいる。そのことがなんだか信じられない。
でもたしかに鈴虫の鳴き声が聞こえる。大きな国道のすぐ横なのに、鈴虫の声がする。変な感じだ。蝉もそうだけれど、彼らはこのコンクリートジャングルの一体どこに隠れているんだろう。
スパティフィラムの花が咲いた。
当初は「うちの草に花が咲いた」という喜びと驚きで、ピュアな感情が到来したけれど、今となってはそれほど感情も動かない。というのも、スパティフィラムの花がもうよっつも咲いているからだ。なんというか、ぼぼぼんといつの間にかわんさか咲いている。そしてスパティフィラムは、当然だぜ、という顔をしている。このくらい普通だぜ、という顔をしている。花はこぶりでかわいらしいが、葉の生え方といい花の咲き方といい、元気がありあまって生命が爆発している感じだ。スパティフィラムの花言葉は「上品な淑女」「清らかな心」らしい。たしかに見た目は清楚で質素で地に足のついた美しさの植物だけれど、その生き方は「剛」というか「豪」というか、ぼくにはロックンロールな生き物に見える。
「上品な淑女」というならサンスベリアのほうがよほど上品だ。花も咲かず葉も生い茂ったりしない。静謐で、思慮深く、息もしていないように見える。