夜の蝶という言葉がある。水商売の人達を差す言葉だが、夜の蝶って大体、蛾だ。
蝶はきれいな模様をしているが、蛾は毒々しい気持ち悪い模様をしている。
なぜそうなったんだろう。
ぼくは蛾について調べた。
今日、特に気になったのがスカシバという種類だ。
スカシバは一見、蛾に見えない。蜂に見える。
ベイツ型擬態だと思う。
毒は持っていないけれど、自分より強くて毒を持っている蜂に姿を似せているのである。
スカシバを色々見ているうちに、なんでこの連中は蜂に見えて、蛾に見えないんだろう、と疑問がわいた。
一番のポイントは、羽が透明であることだと思った。
普通、蛾というのはもさもさした細かい毛の生えているような質感の、大きな不透明の羽を持っている。
しかしスカシバは蜂と同じような、透明で小さい羽をしている。
だからスカシバなんだ、と納得した。
“透かし羽”だ。
スカシバは成虫になった直後は羽に鱗粉がついていて、他の蛾と同じように不透明な羽なのだが、すぐに粉が落ちて透明な羽になるらしい。
スカシバ達は、ほとんど蜂だ。ぱっと見で蛾だと見分けることは、相当詳しい人でなければむずかしいと思う。だから、スカシバが近くに来たら、大の大人でも「蜂だ」と思うだろう。とても立派な擬態だと思う。
ものすごく疑問なのだが、どうしてスカシバは、蜂に姿を似せることができたんだろう。
彼らはたぶん、色々な思考ができるほど頭が良くないと思う。
だから、「蜂に姿を似せたら食われなくても済むかもしれない」とか、そもそも考えることができないように思われる。
蜂は自分たちより強い、という知識のようなものは、本能に刷り込まれていて、OSとして遺伝子レベルで引き継がれていくのかもしれないけれど、だとしたら、「蜂に姿を似せる」という変化は、スカシバ達本人の意思ではなく、「遺伝子の意思」ということになる。
そういうものが存在するのだろうか?
ぼくにもあるのだろうか?
思考にさえのぼらないけれど、遺伝子レベルで刻み込まれてきた、そしてぼくの遺伝子にも今リアルタイムで刻み込まれつつある無意識の情報が、あるのだろうか?
だとしたらそれは一体なんなんだ。
ぼくはどうして人間のような形で生まれてきたのだろう。
ぼくは人間によく似た、別の生き物であるという可能性も、実はあるんではないか。
進化という言葉が、実際にはどのようなものなのか、ぼくはよく分かっていない。
メンデルのえんどう豆くらいはなんとなく知っているが、スカシバ達の姿を見ていると、メンデルどころではないような気もする。
蜂に擬態している虫は蛾以外にもいるけれど、それならどうして全部の虫が蜂に擬態しないのだろう?
人間もいずれ、何か別の形になっていくのだろうか。人間の意思とは、特に関係なく。
きっとそうなんだろう。新しい世代の人間達は、親知らずが生えない人が増えているというし、手首の長掌筋が無い人もいるという。
そういう、些細だけれどたしかな変化が積み重なって、いつの間にか、気がつかないうちに違うものになっていくんだろう。そこにはやはり、生物本人の意志というものは、あまり関係がないのだろう。なんとなく使わないものがなくなり、なんとなく使うものが残っていくという、ただそれだけのことが、スカシバ達を生んだのかもしれない。
今日は100円ショップでランタンを買った。500円だった。
ベッドで本を読むときの明かりが欲しかったのだった。
家に帰り部屋を真っ暗にして、ランタンをつけてみた。
オレンジのあかりがゆらゆらした。
蛾が寄ってきそうだ、と思った。
夜の蝶は蛾かもしれない。
でもスカシバは、蛾だけれど昼に活動する。
夜の蝶も、昼の蛾も、どちらもおもしろい。