転がる鳥

 姉の家でアイスケーキを食べた。31ので、これは姉が用意してくれた。ぼくは冷凍うなぎを買って送っておいた。うなぎはもう届いていた。ハムか悩んだけど、ハムは日にちが間に合わなかった。

 みんなでアイスケーキを食べた。とてもうまいアイスケーキだった。そのあと姉の友人sがうなぎを温めてくれた。みんなでうなぎを食べた。とてもうまいうなぎだった。このうなぎは3尾で8000円もするのだ。買う時真剣に悩んだのだ。でも姉が喜んでくれたのでよかった。今日は姉とぼくと姉の友人の誕生日パーティーだ。みんな誕生日がとても近い。

 雑談をしたあと、姉が鳥を連れてきた。ぼくが東京に来た頃に飼い始めた鳥で、メスで、乱暴で、やんちゃで、騒がしくて、いたずら好きで、10歳を超えるおばあちゃん鳥だ。鳥はついこの間、足が動かなくなった。鳥病院に連れていくと、加齢による機能不全とかなんとか言われたらしい。つまり、歳なのだ。鳥はぼくが病院に連れて行った日までは片足だけ動いていたが、病院から帰ってくるともう両足が動かなくなっていた。あの日、ぼくの肩によじ登ってくれたことは、なんというか、なんとも言えない思いだ。勝手な想像だけど、さよならの挨拶というか、最後に元気を振り絞ってぼくの肩に乗ってくれたのかもしれないと思った。

 鳥は両足が動かないまま、それでも生きていた。くちばしと首を使って這いずって移動する。時には、羽と首を使って横にころころ転がって移動するようになった。そんな鳥の姿は今まで一度も見たことがない。自然にもそんな鳥はいないし、テレビでも見たことがないし、聞いたこともない。でも鳥は前人未到の転がり移動を習得した。ぼくは転がる鳥を見て、かわいそうだけどかわいいし、不憫だけど、でもつよいなと思った。鳥は姉の友人の手の中で丸まって眠っていた。いつまでも眠っていた。白い瞼を優しく閉じ、うっとりした顔で眠っていた。もう騒いだり、人のシャツの中に潜り込んだり、地面を走って足の指に喧嘩を売ったりすることはない。飛ぶこともない。ただ、ゆりかごのような手の中でまどろむだけだ。きっと彼女にとって、それは今一番心が落ち着く場所なのだろう。鳥は極端に甘えん坊になって、指に頭を擦り付け、くちばしをちょんと指に乗せて、また眠ってしまう。姉の友人が仕事をしている間、鳥はぼくの手の中で眠った。大丈夫だよ、とぼくは心で話しかけた。大丈夫だよ。ぼくたちはずっとそばにいるよ。

 ペットってやっぱり動物のためには全然よくないなと思う。わからない。幸せなんだろうか? 本能に従って食ったり食われたりするほうが幸せなんじゃないかとも思う。ぼくはそのタイプだ。死んでもいいので色々なことをやってみたい。でも安全に長生きするのも幸せかもしれない。わからない。この鳥が幸福なのか、ぼくにはわからない。だからせめてあなたは人間なんだから、幸福かどうかくらい教えてほしい。

 姉の友人と60年代の団地の映像を見た。ひばりヶ丘団地が出来た頃の、まだ団地というものが最新の設備だった頃の、夢がいっぱい詰まった教育番組だった。ぼくは田舎育ちなので団地に憧れる気持ちは当時の人間と同じくらいあったと思う。でも東京に来てマンションに10年も住んでると、団地的生活にもすっかり飽きている。住めば都だが、住めば家でもある。家は家だ。いつまでもわが家に興奮していられない。団地がナウかった頃は、しかし、今とは違う人間模様があったのかもしれないな。他人に無関心な現代のマンションとは違ったかもしれないよ。

 姉の友人がモバイルゲームのガチャで4万使って、結局そのゲームを辞めたことを聞いた。率直にアホだなあああと思ったし、もったいねえなあと思った。この人たちの金の使い方やっぱり少しおかしいぞと思って笑ってしまった。でもなんというか、他にあんまり使い道もないんだろうな。趣味がないというか。とても馬鹿らしいと思うけど、4万突っ込んだ時は幸福だったんだろうか。せめてそうであってくれと思う。姉の友人はぼくの目の前で屁をこいた。ぼくは彼女の目をまっすぐ見つめながら屁をこき返した。彼女は「おう」と言った。ぼくたちのやりとりを見ていた姉が「お前らぶうぶう屁をこくな!くっせぇんだよ!」と言って笑っていた。ぼくにはこういう姉がいるので、幼少の折から女性に対する一切の幻想を持ち合わせていない。男だろうが女だろうが鳥だろうが屁をこくしうんこもする。女はうつくしいとか綺麗好きとかかわいいとかかよわいとかうんこしないとかそういう幻想は1ミリもない。どんな人間も、生物も、みんな平等にきたないし、ばかだし、ずるいし、だから、すこしは好きになれる。だって、ぼくとおなじだから。