さわがしいいのち

 植物はさわがしい。
 思ったよりもずっと感情表現をする。
 あの日、ぼくは友人の家に泊まった。
 帰宅すると、ストレリチア(仮)は萎れていた。
 はっきりと見てわかるほどに、もう再起不能なのではないかと思ってしまうほどに、萎れていた。
 空に向かって伸びていた茎は見る影もなく、地面に向かってうなだれている。
 とても不吉だった。ぼくはその死にかけた植物をグロテスクだと思った。おそろしいと思った。気持ち悪いと思った。植物のそんな姿を見たことがないと思った。
 昨日まで緑に艶めいていた葉が萎れて腐ろうとしている姿。
 こいつはもう死ぬんだ、とぼくは思った。たった数週間で、植物を枯らしてしまったのだと思った。
 ほとんど言い訳のような気持ちで霧吹きで葉水して、コップ一杯の水を土にかけて寝た。
 翌朝、萎れたストレリチア(仮)を横目に会社に行った。
 帰宅すると、ストレリチア(仮)は、枯れていなかった。
 むしろ少しだけ茎が起きている。
「おや?」と思った。
 もしかしてこいつは、まだ死なないのかもしれない、と思った。
 翌朝、ストレリチア(仮)はすっかり元通りになっていた。
 茎はしゃんと伸びて、葉を広げている。小さい芽のような葉はいくらか黄色くなったものもあったが、おおむね元気そうだ。
 ぼくは笑った。
 お前は何者なんだい、と思った。
 植物はこんなにはっきりと自分を表現をする。
 死にそうになればうなだれ、元気になれば緑色に輝いて伸びる。
 峠を越えてから、ぼくは物言わぬストレリチア(仮)の気分が分かるようになった。
 毎朝、この草を観察する。葉の形、色、茎の健康状態、新しい葉が少しずつ開いていく様子。
 部屋が暑すぎるとストレリチア(仮)はすぐにしゅんとなる。
 会社に行く前に暗い場所に移しておくと、元気がなくなったりしないこともわかった。
 水を多めにやっても案外平気だし、毎日葉水してやっても腐ったりしない。
 すぐに萎れたり、やたらはつらつとしていたり、分かりやすい性格だ。
 その反面、サンスベリアは分かりづらい。仙人みたいなやつだ。草というより樹みたいだと思う。
 ストレリチア(仮)が萎れた時、サンスベリアは何食わぬ顔をしてぬーんと突っ立っていた。
 サンスベリアには一ヵ月水をやっていないけれど、そんなことは一切構わないという感じだ。
 俺にかまうな、という感じだ。
 そういう感じなのだ、ということをぼくは認めなければならない。
 ストレリチア(仮)は忙しく構ってやらないとぐったりするけれど、サンスベリアはむしろ構わないほうがいいやつなのだった。
 植物はさわがしい。
 ぼくはそんなことさえ、知らずに生きてきた。
 
 *
 
 鳥が死んだ。
 10年来の知り合いなので、やはり寂しい。
 そうか、あいつも死んだか、という気持ちになっている。
 頭のいい鳥だった。乱暴でわがままで口うるさくて、最後まで理解不能なやつだったけれど、それでももちろんぼくはあの鳥をきちんと好きだったと思う。
 鳥は寝ている人を見ると、体によじのぼってきて唇を優しくつつき、起こそうとする。
 なんでそんなことをしようと思ったのかよくわからないけれど、あの鳥はそういうことをする鳥だった。
 甘えたいときはぼくの手の中に潜り込んで体を丸めて眠る。手のひらの中の熱い羽毛の塊の振動をぼくはよく覚えている。鳥はいつも細かく震動しているものなのだ。小さい心臓を高回転させているからだ。
 鳥はぼくを見ると飛んできて、肩に乗ったり、頭に乗ったり、服の中に潜り込んだりしてきた。
 結構仲が良かったと思う。
 鳥は幸福だったろうか。

 世界中に何億羽の鳥がいるんだろう。
 一日にどれくらい鳥は死んでいるんだろう。
 わからない。でも他の鳥と、ぼくが知っている鳥は全然違うものだと思った。
 全然違うものだ。
 ぼくが知っている鳥は世界に一羽しかいない。
 その鳥は、死んでしまった。