じっと草を見る

 草と暮らし始めて数日が過ぎた。
 草のひとつはサンスベリアという種で、トラノオと呼ばれている模様が入っている。
 なんだか妙な草で、土から大きな長い葉っぱがにょっきり突っ立っているという形だ。
 花とか、幹とか、茎みたいなものは見当たらない。
 ただ白い斑の入った厚い葉があるだけである。
 パイナップルの頭の葉っぱに生え方が似ている。
 こいつは何を考えてこんな形になったのだろうか。
 ぼくは10分くらい草を眺めていた。
 そこでふと気がついた。
 葉は全部で6枚生えているのだが、よく見ると3枚が一組になってひとつの根を持っているらしい。
 6枚葉があるということは、ひとつの鉢に草が「ふたり」いるということではないのか。
 花屋で買った時はまるで気がつかなかったが、大きい3枚の葉のやつが真ん中にどんと植わっていて、その横の方に一回り小さい3枚の葉のやつがいるらしい。
 おそらく花屋が小さい方を後から植え付けたのだろう。
 ぼくとしては、サンスベリアはひとりいれば充分だったのだが、図らずもふたりのサンスベリアと暮らしているらしいことが、なんだか面白かった。
 しかしながら、ひとつの鉢にふたりのサンスベリアはいかにも狭苦しそうで、根がすぐにこんがらがってしまいそうだ。
 いずれ鉢を分けたほうがいいのかなあとのんびり考えている。
 サンスベリアは乾燥する地域からやって来た草なので、あまり水をやらない方がいいだとか、しかし直射日光を当てると枯れてしまうとか、色々と学んでいる。
 3枚の葉の集合地点、根元を覗き込んでみると、小さな角のような突起が飛び出している。新しい葉はこの中心点から成長して大きくなり、そしてまた新しい角が中心から生えてきて、という風に増えていくのだろうと予想された。
 でっかくでっかくなればいい。
 
 草はもうひとつあるのだが、この草の名前をぼくはまだ知らない。
 サンスベリアは土にきちんと「サンセベリア」と書いた名札が刺さっていたので一目瞭然だった。
 しかしこの草には名札が無い。ネットで色々検索してみたのだけれど、おそらくストレリチアという種なんではないかと思う。ネットで写真を見る限り似たような形だ。あまり自信がないのは、似たような草がたくさんあるからだ。
 プードルとトイ・プードルが全然違う生き物に見えるみたいなもので、たとえば同じサンスベリアという種でも、種類が違うと全然似ても似つかない草になる。
 よくわからないけれどストレリチアだということにして育てている。
 ストレリチア(仮)は根のある中心点からひょろ長い茎がみょーんと伸びていて、先端に大きな照りのある葉が一枚だけついているという形で、その茎が四方八方にわさわさ生えている。小さな森のようだ。
 いかにも葉緑素をたっぷり含んでいそうな葉の色なので、きっと日光に当てた方がいいのだろうと思い、窓際に置いてみたのだけれど、2日ほど経って葉が「しわしわ」してきたものが何枚かあった。
 他の葉はハリのあるつやつやの葉だが、しおれてきたものは波打って、水を吸った紙のようだ。
 おそらくぼくは何かミスをしたのだと思った。
 ストレリチアで調べてみると、サンスベリアのように直射日光は葉に良くないことが分かった。
 またこの草は、サンスベリアよりはちょっと多めに水をやった方が良さそうだとも思った。
 水をやって二日ほど様子を見たけれど、葉はまだ元気を取り戻さない。かわいそうだ。葉がよわよわしい。
 ほかにも情報を調べてみると「葉水」というものをやった方がいいと分かってきた。
 草というのは根だけではなく、葉っぱからも水を吸うらしい。ぼくは根には水をやっていたが、葉にもうるおいを与えなければならない。ただでさえ暑い夏だし、おそらく葉っぱが乾燥してしまったのだ。(そしてサンスベリアは葉水しない方がいいらしい。色々と学ばなければならないことは多い)
 ホームセンターで霧吹きを買ってきて、まんべんなく葉にスプレーしてやった。
 気のせいかもしれないけれど、葉水すると緑が濃くなり、艶が増した気がする。波打っていた葉も少し元気を取り戻したように見える。
 毎朝葉水してみて様子見する予定だ。
 ところでこのストレリチア(仮)だけれど、ひとつ面白いことがあった。
 いろいろな角度から草を眺めて遊んでいた時、根元にものすごく小さなぎざぎざの葉っぱが落ちているのが見えた。
 ミニチュアサイズのヨモギみたいな形の葉だ。これはストレリチアとはまったく形が違う。花屋で他の草の葉が落ちたのかなと思い、ピンセットでつまんで取ろうとすると、その小さな葉は土にしっかりと根を張っていた。葉が落ちたのではなく「土から生えている」んである。なんとなくショックを受けた。お前は誰だ! と思った。なぜここにいるんだ。家のベッドに知らない人が寝ていたような、不気味な気持ちになったので、引っ張って抜いてしまった。
 人間というものはつくづく自分勝手な生き物である。
 名も知らぬ草は、そんなことにはお構いなしに、ただ天を目指して手を伸ばし続けている。