おもしろいこととは何か?私のポテンシャルに耐えられる者はいつでも電話をかけてくればいい

 おもしろさとは何か、ということなのだった、結局。
 私はその答えを求めている、心の底から、とても強く。
 私は面白いことが好きで、そして、おもしろくないことが全然すきではない。

 スパティフィラムのすべての茎が、葉が、またうなだれ、落ち込み、鉢にべたりと這うようにしなびていた、その姿は何度見ても不吉で、まがまがしく、まるで悪意のある絵画のような、紫と黒のオーラを全身から漂わせており、どう考えてもその激烈な抗議は、私に向けられている。水をよこせ、水をよこせ、水をよこせ、と声にならない絶叫がたしかに聞こえてくる。以前から分かっていたことではあるが、この草は特に饒舌で、まったく草に似合わぬ自己表現の達人で、気分屋で、犬猫に負けず劣らず「生きている感」がおびただしい。ついつい私も「おお、ごめんよ」などと口走りながら急ぎ、空きペットボトルに水を汲んで鉢の土にまく。そしてその瞬間にはもう、心配は無くなる。何度か体験して理解したのだけれど、この草は水切れを起こすと本当に死にそうに見える状態になるけれど、そして実際弱ってはいるのだろうけれど、なんというか、茎や葉が萎れたくらいではこの草は死なない。人間の言葉にするなら「ちょっと腹減って死にそうなんですけど~~」くらいの軽口を叩けるほどの元気は残っている。まったく致死的ではない。朝に萎れても、水をやれば夜にはしっかり茎を天に伸ばす、葉を広げ、生命力と歓喜に充ち溢れた健康的な笑顔を振りまくようになる。とてもおもしろい。すごく「生き物っぽい」。すべての草が、このくらい自己表現が上手ければ、枯れずに済むのではないだろうかと思ってしまう。スパティフィラム花言葉は「上品な淑女」だが、その白く清楚な花はもちろん花言葉にぴったりの見た目だが、その本質は案外図太いし、少し萎れてもすぐに元気を取り戻すタフさは、むしろ「時々ものすごくうつくしい笑顔を見せることはあるけど基本的に家ではジャージで過ごしている生まれてから一度も風邪を引いたことがない八百屋のひとり娘」という感じだ。
 もう一鉢のサンスベリアの方は相変わらずで、一度も萎れたことがないし、ひと月に一度しか水をやらないのに葉がにょきにょき伸びていくし、余裕で生きている。とてもとても強い。サンスベリアが弱ったところを想像することさえできない。生き物というよりは、鉱物のようだ。こういう変化の少ない生物を見ると「生物と鉱物」「肉と石」の違いって、それほど大きくはないんだなって思う。何万年も仮死状態になる虫や、サンゴ、細胞を持たないウイルス、彼らほど不思議ではなくとも、わたくし人間の体の中の骨は、もう生まれる前からずっと私を支えている鉱物だった。動物、植物、鉱物、という区切りは人間が分かりやすくカテゴライズしたものであるだけで、すべての物質は、物質でしかないので、私は安心して切った爪をゴミ箱に捨て、髪の毛を捨て、サンスベリアの葉を撫でる。水をたくわえてぷくぷくした厚い葉は、それでも、うれしくなるほど生きている。
 
 健康診断にゆく。
 会社からはがきが届いたのがたしか10月。有効期限は12月中。暮れに差し掛かり慌てて近所の指定病院に予約の電話をしてみる。果たして満員。横で電話を聞いていた同僚が「この時期に予約なんて無理じゃないですか? 会社にごめんなさいしましょうよ」と笑っていた。ところが不肖わたくし、肝心なところで諦めが悪い。お腹と背中は取り替えられないので片っ端から予約電話をしまくってやるぞ! と意気込んで二件目にかけるとあっさり予約が取れた。こういう時いつも、案外社会ってどうにかなるものだなあと思う。ちゃんとしていなくても、ちゃんとしていない人がいるということを、社会は知っていてくれる。
 今回は検便は無かった。私は本当に心の底から検便が嫌いなのでうれしかった。あんなことは、文明人のやることではない。何がかなしくて2023年にもなって、紙の上の糞便と向き合わなくてはならないのか。もう、よしたらどうだ、人間よ。あんなにみじめな思いをしてまで、私は検便をしたくはないよ。そもそもシステムに欠陥があって、便器に敷いたトレールペーパー(検便用の紙の名称)に糞をし、それを細い棒みたいなもので採取するという原始的な仕組みなのだけれど、そうなると当然、採取作業中はお尻を拭くことができませんよね? ということは、被検便者は全員、お尻を拭かぬままケツ丸出しで狭いトイレの中であの作業をしているということになる。男も女も、イケメンも不細工も、馬鹿も学者も関係ない。みーんなケツ丸出しであの苦行を体験しているのだ。検便には、一切の差別が存在しなかった。もしかしたら、案外尊い行いだったのかもしれぬ。
 健康診断は綺麗な施設で行われ、混雑もなく、訓練されたスタッフたちは丁寧で作業はあくまで素早く正確で、なんの不自由もなく45分ほどで完了した。身長はいまだにすこしずつ伸びており、体重はいまだに増加しており、視力はまたたくまに衰えていた。結果はこれから郵送されてくる予定だけれど、特に問題ないだろうと思っている。私は不調の天才だから、今更何を言われたところで恐ろしくはない。
 
 健康診断を終え、目をつけていたラーメン屋に直行した。12時間ほど何も食べていなかったので、お腹が減っていた。特製合わせ味噌ラーメン1100円をオーダーした。東京のラーメンは高すぎると思う。いつも思う。1100円だったらステーキ定食が食べられる。でも私はいい大人で酸いも甘いも味噌も醤油も噛み分けてきたから、1100円をぽいぽいと券売機に吸い込ませラーメンをも吸い込む。ラーメンは私のソウルフードであると同時に趣味であり喜びであり芸術鑑賞でさえある。着丼した瞬間に広がるパノラマを見よ。分厚いチャーシューが山脈を成し、白髪ねぎの森は世界の中心に豊かに茂り、もやしは海に住む心優しく賢い幻獣のようで、つややかなコーンがこの世界を支える麺と戯れる姿を見よ。現代美術界はもっとラーメンの世界をテーマにした方がいい。この秩序と冒険の世界を描かずに現代は語れないではないか。
 
 疲れたので帰宅してアラームをかけて寝た。
 この時間がもっとも私らしい時間だと感じた。
 何かに追われながら、必死に休む姿。
 
 アラームが鳴って目覚め、二回目のシャワーを浴びて着替え、夜の町へゆく。
 秋葉原のきれいめな居酒屋に集合だった。私は1分遅刻した。先輩のUさんとIさんはすでに飲み始めていた。すでに徒労感を感じていた。私は最近、あまり酒が飲みたい気分ではない。ここ3,4年ほどはずっとそうだ。私はUさんともIさんとも最近会っていたのであまり話はなかったけれど、二人が再会したのは3年ぶりだった。二人は近況などを話し合うターンになっており、私には新しくない情報が行き交っている。厨房の奥で焼き鳥をひっくり返す青年の姿を見ながら、ぼうっと黒ラベルを飲んでいた。おもんないな、と思った。それを言葉にするほど子供ではないけれど、それを思考のテクニックで誤魔化したり、なかったことにしたくないと思う。おもんない、飲み会。
 Uさんはとても太った人で、冗談ではなくシャツのお腹の部分のボタンが腹の肉で外れてしまう。白い肌着がちらりと見えていて幸福そうな腹だった。私はUさんが話している隙に、彼の腹にそっと手を当てた。Uさんは私の手を3秒ほど見つめたあと、何も言わずに手で払いのけた。私はしばらく経ってから、再びUさんの腹に手を添えた。やさしく、包み込むように。今度はUさんは何も言わなかった。私は幸福な気持ちになった。うれしくなるほど生きている。私は生き物に触れるのがとても好きだ。それはたぶん、私が生きているという実感をあまり感じない生活をしているからだろう。
 次の店に行こうということになり、Uさんは帰宅することになった。彼は酒を飲まないし、常識人だし、お金を使うことに対して強い抵抗がある。あるいは、おもんないわ、飲み会。と思っていたのかもしれない。Uさんを駅まで送っていき、次はどうするか、Iさんと話した。
「俺、AV女優と知り合いになったんですけど、そこで下の毛の話になりまして」とIさんは話し始めた。めちゃくちゃ面白いじゃん、と思った。IさんはAV女優と話している間に下の毛を全部剃るという約束をしたので、それを見せに行くという。IさんがUさんにその話をしなかったのは、もちろん空気を読んでのことだろうと思う。「ぼくは前回の飲み会で外黒さんのポテンシャルの高さにビビったんです。ぼくは外黒さんをポテンシャルフレンドだと思っています」と彼は言った。意味がわからなかったけれど、でもこの人はちゃんとおもしろいなと思った。そして私のポテンシャルは、もちろん高かった。彼がここでいうポテンシャルとは“面白そうなことに飛び込んでみる力”のことだ。前回は二人で初見のスナックに入った。入口の前に立った瞬間に酔漢のカラオケの声が聞こえてきて、ものすごく入りづらかったけれど「Iさん、ぼくたちのモットーは、冒険心ですよね」と私が言うと、Iさんはうれしそうに笑ったので、朝までそのスナックにいた。それがポテフレの始まりだった。
 私は職業や性別や国籍や肌の色や外見には偏見を持たないように心掛けているが、どんな種族であれ、おもんないやつはすきではない。AV女優が店員をしているという居酒屋に入ると、女性店員の全員がサンタのコスチュームを着ていて胸の谷間がごんごんに見えていた。Iさんと顔見知りの女優の方が話し始めている間に、まったく見知らぬYさんという男性が相席になった。Yさんは自分の名前が書いてあるスタンプカードを誇らしげにテーブルに出し、指をぱちんと鳴らして「ハイボール」と言った。女優の人が「うわ~すご~い、来慣れてるんですね~!」と言った。そのやりとりにぞっとしてしまい、Iさんを見るとにやにやしていた。私はYさんの指ぱっちんをめちゃくちゃいじりたかった。いじり倒したかった。それは彼の癖らしく、ことあるごとに指をぱちーん! ぱちーん! と鳴らして相槌のようにする。なぜかわからぬが古のオタクを彷彿とさせた。Yさんのハイボールが来ると、女優の人が至近距離でYさんをじっと見つめた。なんだかわからないけれどやたら近い。二人はとても親密なのではないかと思ったけれど、よく聞くとハイボールを頼むとそういうサービスをしてくれるらしかった。「やるやるやる! ハイボール!」と私は言った。そしてAV女優の人と至近距離で見つめ合った。笑いそうになった。しかし笑うと失礼なのではないかと思ってこらえた。知らない女の人がパーソナルスペースを踏み越え至近距離から見つめてくるというのは、ちょっとおもしろかった。それは子供に頃にしたにらめっこと同じ面白さだった。Iさんは下の毛がないということをネタにされ、不名誉なあだ名をつけられ、スタンプカードに書かれていた。私の名前も不名誉な名前になった。私はたびたびハイボールを頼み、女優の人と見つめ合ったが、私にその気がないことを女優の人は早々に読み取り、ちょっと笑いの方に持っていってくれたと思う。そういう感情の機微を読み取る力がとても強いと思った。指ぱっちんのYさんはAVオタクらしく、マニアックな作品の話や、定番のシチュエーションなどを熟知しており、店にいる女優の人の作品にも詳しかった。私とIさんは彼をアニキと呼んだ。
 そのうちにSさんという人も相席になった。スーツを着てトランクケースを持った人で、とても静かな人だった。目が細く、指も鳴らさず、ほとんどしゃべらない。こういう店には全く縁が無さそうな人に見えた。私はもうAV女優に興味を失っていた。というかSさんの方が明らかに面白そうだった。Sさんは優しい笑顔を絶やさず、Yさんのエロ話を、まるで何かの訓話でも聞いているかのようにしっとりと聞いていた。もうおまえの話はいいんだよY、と私は思った。いつまでもエロ知識の裏付けとって自己満足してんじゃねえぞタコと思った。女優の方もSさんにスポットライト当てるくらいの努力をしろと思った。Sさんが退屈そうにしてるだろうが! 「で、Sさんもエッチなんですか?」と私は聞いた。Sさんはハッとした顔になり、そのあととても穏やかな顔で「はい、エッチです」と言った。その日一番の笑いがテーブルを包んだ。きもちいい~と私は思った。エロよりそっちの方がずっと面白い。
 Sさんは私とIさんにそっとスタンプカードを見せてくれた。スタンプが20個ほど溜まっていた。あのYさんでさえ5個くらいしか溜まっていなかったのに、寡黙なSさんが20個も溜まっているのがおかしくてしょうがなかった。私とIさんはたくさん笑った。
 店を出ると終電がなくなっていた。私は翌日の7時30分から仕事が控えていたけれど、どうでもよくなっていた。私の中の小さなおPUNKが目覚めていた。秋葉原をぶらぶらとして夜の中央通りに立っているメイドさんに片っ端から声をかけられ、チラシをもらう。その辺りから記憶は曖昧になっている。たしか男装ドラキュラバーというところに入って、イケメンの女性と話した。どんな話をしたのかはあまり覚えていないけれど、名前を決めてほしいといわれたような気がする。1時間ほどで店を出て、コンビニでお金をおろした。店を出た瞬間に腰が抜けて三角コーンの上に座り込んでしまった。Iさんは笑って手を貸してくれた。私は15杯ほどアルコール性飲料を飲んでいた。それから四件目に入っていた。私はどういういきさつでそこに入ったのか全く覚えていない。どんなコンセプトのバーだったのかも覚えていない。女の子が甘えたように肩にくっついてきて、人間の体温って誰もみんな同じようなものだなと変なことを考えた。それから私はトイレに立ったのだが、トイレに人が入っていたので待っていた。待っている間に吐いた。
 その瞬間はとてもよく覚えている。私はこみ上げる胃の中のものを口いっぱいにたくわえ、それを飲み干してこらえ、しかしもう一度激しく嘔吐して手の隙間から吐しゃ物が溢れた。女性店員さんがトイレのドアを叩いて「たいへ~ん! ごめん早く出て!」と叫んだ。その時、カウンターに座っていた女性店員と男性店員は、私から目を逸らして、遠くを見ていた。私は空いたトイレで吐いた。トイレを出ると男性スタッフが「清掃代2万円です。それか自分で掃除してください」と言った。「じゃあ自分で掃除します。トイレットペーパーで拭いていいですか」と聞き、私はスツールや床を丁寧に拭き始めた。東京に来たばかりの頃、清掃業をしていた時には時給1200円くらいだった。でも今は時給2万円だなあと思っていた。自分のげろを自分で掃除することには何の抵抗もない。むしろ「ここでぼくは、より惨めに見えるように掃除しなければならない」と考えていた。これはただの掃除というより罰だ。拭き終わると「除菌スプレーを買ってきてください」と言われた。私はIさんに笑顔で「除菌スプレー買ってくるね」と言ってコンビニに向かった。途中で何度かIさんから「もう限界です!」と電話が来た。私はその店の場所がわからなくなっていたし、除菌スプレーがなかなかみつからなかった。Iさんに店の場所を送ってもらい、マップを頼りに歩いていき、なんとかバーにたどり着いてファブリーズプレミアムをそこらじゅうにまき散らし、それをポケットに入れて店を出た。それから何がどうなったのかわからないけれど、金髪の男性とメガネの男性が隣を歩いていて、Iさんを含め四人でカラオケに入った。私は眼鏡の男性と一緒にカラオケで1時間ほど眠り、始発の電車に乗った。まだ酔っていた。しかしこれから仕事があった。とても具合が悪いし、飲酒性の鬱の兆候も現れていた。いつもこうだ、と私は思う。帰宅するとシャツの前面にげろが飛び散っていることが分かったのでそのままごみ箱に捨てた。ズボンは大丈夫そうだったけれど不安だったので捨てた。ダウンジャケットのファスナーは故障して締まらなくなっていた。胃液で口の中と鼻穴が焼けている。寝不足と飲み過ぎで気分は最悪だった。私は三度目のシャワーを浴び、リステリンでうがいをして歯磨きをして体を綺麗に洗った。財布も鍵もなくさず、携帯も壊れていないのが、いつも奇跡に思われる。
 私は平和を求めている。しかし「おもしろい」を突き詰めていくと必ずこうなる。私と酒を飲む人は、たぶんこれを求めているんじゃないかと、私は考えている。非日常のめちゃくちゃ、混沌に巻き込まれることを、破滅的な生き方を。私のポテンシャルに耐えられる者はいつでも電話をかけてくればいい。面白そうな所へならいつでも私は出向いていこう。ただ、私はやはり読書や映画やゲームをしている自分の方が、今は好きだなと思う。いろいろなことを体験して何度でも思うことは、幸福は家の中にあるということです。