正月

 30日
 仕事納めが発生した。
 といっても特別な対応はなかった。ただ2023年の仕事がひと段落するだけだった。すっきりした気持ちもあるし、何かやり残したような気持ちにもなった。
 在宅の勤務で、かつOJTだったが、私が受け持った相手はそれなりに手を動かして作業してくれたので特に面倒なことはなかった。ただ彼のマウスカーソルが画面を動き回っている様を注意深く監視していなければならなかったので、その点はやはり疲れた。
 OJTの相手は私よりも年上で、世界史が好きな人だった。国内外問わず様々な場所の文化に触れるのが好きなようだった。そうして世界に触れて来たからか、彼は懐が広いように思われた。常識を認識し、実行しつつも、その価値観の外にある価値観に対してもおおらかであろうとする姿勢。その「あたたかさ」を私は感じた。外の価値観を受容しようとして、頭でっかちになってしまう人を、何人か見てきたから、「知る事」と「触れて理解する事」とは、まったく別の次元なのだと思う。
 仕事の後、猛烈におでんが食べたくなった。
 近所のコンビニを調べているうちに、ミニストップには店頭のおでんが無い事を知った。衛生的な観点から店頭での販売をしない方針だそうだ。それなら、ミニストップは信頼できる。私は元・コンビニ店員だったから、ホットスナックは信用できない。しんみりした寒さの夜の中を歩き、ミニストップで電子煙草とパック入りのおでんときのこのペペロンチーノを買った。
 真夜中にパスタをあつあつにして食べる。おでんも適当な器に入れてあたためる。これを幸福と呼ぶことが出来ないような人間には、なりたくない。
 
 31日
 大晦日で、だから休日だった。
 例年通り姉の家で過ごすことにして、16時に家を出ようと決めたのだが、常用している電車が運転見合わせを起こしていたため、仕方なく電動キックボードで向かうことにした。全行程1時間30分程度の予定で、あらかじめマップで道を調べ、電動キックボードのポートも検索しておく。厚めのジーンズとダウンジャケットを着込み、斜め掛けのウエストバッグには去年のクリスマスの時にコンビニで買った手袋も入れた。去年のクリスマスは往復50キロ程度の道のりを電動アシスト自転車で走破したのだった。意味が分からないと自ら振り返っている。
 大晦日の夜の東京は静かで、清らかな感じがする。光は透き通り、音はずっと遠くから聞こえてくる。空気はきゅっと引き締まって、精神が研ぎ澄まされていく。電動キックボードにはもう何度も乗っているため、すっかり慣れてしまったけれど、それでもきらきらと街灯の灯る国道をゆっくりと進んで行くのはたのしかった。時々は歩行者用の地下道に入ったり、広い道路を横断するために歩道橋に上ったりしなければならず、そういうところはバイクの方がよほど楽だと思う。しかし電動キックボードの良さは、やはり遅さにあって、風を切って走ったりしない、風と共に町を流れていく感覚にある。
 姉の家には新しい鳥がいた。
 以前の鳥は死んでしまい、火葬されてしまった。2023年のことだ。10年も一緒に暮らした鳥だったので、姉も姉の友人もとても悲しんだそうだが、それでも新しい鳥と暮らすことにした。それがいいことなのか、悪い事なのか、私には判断できない。
 新しい鳥は私をじっと観察し、姉の首の周りをうろうろと歩き回りながら警戒を続けていたが、次第に慣れてきて、私の頭に止まったり、肩の周りをうろうろしたりした。とてもかわいらしい鳥だ。私がひまわりの種を差し出すと、くちばしでそれをちょんとつまんで取り上げ、殻を剥いてすぐに食べてしまった。
「おい鳥」と私は話しかけた。「鳥、鳥ちゃん」
 鳥は私の声を認識しなかった。頭の上の長い毛をぴんと逆立てて、私をじっと見つめるばかりだった。

 1日
 姉の友人が貸してくれた布団で目覚めた。
 陽刺しは明るく、気持ちのいい昼下がりだった。
 海鮮丼を食べ、年越しそばを食べた。
 それから三人でブルーロックを見た。ばちらの変なドリブルのシーンを見ようとしたのだけれど、そんなシーンはみつからなかった。
 私が着ていたTシャツの背中が横に裂けていたので笑った。原因は不明だった。
 私はまた電動キックボードに乗って帰宅した。
 いい正月だったように思うが、地震が起きた。ネットニュースで動画を見ると、赤い炎が画面いっぱいに映っていた。ボランティアのやり方を調べてみて、それから諦めてスカイリムを始めた。