リアル

 こうして大人になっていくんだなあって大人になってからも思う。

 一軒目の居酒屋に着いて迷った新橋。先輩は1時間30分遅刻してきた。ぼくと元上司は鯨飲。1万4000円をぼくが支払う。

 二軒目の居酒屋で先輩が合流。3000円を支払う。終電が無くなり、先輩はすぐに姿を消す。元上司はまだ名残惜しそうな新橋。

 三軒目のガールズバー、元上司が一生懸命モモンガの話をしている。ぼくとガールズはそれを聞いてウフフと笑う。ぼくはキャバ嬢だと言われたことがあるけど、こういうとこだと思う。でもぼくは好き勝手にしゃべりまくることが出来ない。ガールズがそらした目線の先の果てしない倦怠に注目してしまう。ぼくはカルピスしか飲んでいない。元上司がトイレに行き、沈黙が充満する。喋るのが下手でごめんね、とぼくは言う。それはこっちの仕事なので、とガールズは言う。3600円を支払う。支払いが終わった後も元上司は席を立とうとしない。ガールズの声が露骨に冷たくなり、いたたまれない。人間とは?

 四件目の中国人のスナック。1時間3000円飲み放題と客引きのおばちゃん。ぼくは2000円と言う。2500円とおばちゃん。ぼくが歩き出すと背中に、分かった2000円でいいよ! と声がかかる。始発までカラオケにいるよりマシだろうかと考える。カウンター席に座って、この席がとてつもなく狭く寒い。目の前の厨房では化粧の崩れたセーターのいかつい女の人がやさいいためを作っていて、その横に置いてある椅子に白鳥みたいな女の子が座ってものすごく暇そうにスマホでゲームをしている。るいるいさん(50歳)がぼくの隣に座り、肩に頭をもたれさせる。ぼくは一心不乱にテレビ画面を眺め、命について考えざるを得ない。るいるいさんはぼくのえくぼがかわいいと褒める。子供をたくさん作りなさいと忠告をして笑う。マッサージ好き? と聞いてくる。あなたはすごく真面目なのね、顔を見ればわかる、話を聞けばわかる、という。元上司は、彼の隣に座っていた女の人に引っ張られて姿を消した。何分待っても戻って来なかった。まあいいかと思った。ぼくの望みはみんなが自由に生き、自由に死ぬこと。るいるいさんはぼくに、あの子可愛いでしょう、紹介してあげるよ、と笑いながら白鳥の女の子を指差す。るいるいさんはくしゃみをしそうな顔をして、異国の言葉をまくしたてる。白鳥の女の子は同じ国の言語でぼそりと一声つぶやく。ぼくはるいるいさんの子供と孫と旦那さんの写真を見せてもらう。るいるいさんはぼくに歌を歌うように5回勧め、ぼくは5回断る。ぼくはスナックでずっとコーラとウーロン茶しか飲んでいない。酒なんてずっと前から全然飲みたくない。いかつい女の人がぼくの減らない酒を見て怒った顔をする。そして減ったコーラを注いでくれる。閉店時間になっても元上司は戻ってこない。テーブル席に溜まって演歌を熱唱しまくっていたおじさん方も徐々に姿を消し、閉店時間にはもう一人しか残っておらず、その一人はスナックの女の人の頭を脇の下にがっしりと抱え込んで固定し、俺はお前が好きだ、好きで好きでおかしくなりそうなほど好きだ! と叫ぶ。ぼくはその姿を写真に撮って見せてあげたいなと思う。さぞかし滑稽で、おどろくほど支離滅裂で、見ていられないくらい惨めで、かなしい、いつも人間がかなしい、何回この馬鹿げた光景を見なくちゃならないんだろう。白鳥の女の子がスマホをテーブルに置いて、狂ったおじさんに向かって、この店はお触り禁止です! とフィクションみたいな怒りかたをした。狂ったおじさんはしょんぼりしていたが、最後の会計で、女の人のセット料金3000円を出し渋り、お前は金を払うに値する人間なのかって聞いてんの! と最後まで理性が崩壊している。るいるいさんが苦笑し、酔っ払いだよ、と言う。ぼくはトイレに行き、トイレを出るともうスナックは真っ暗で、入り口でるいるいさんが帰りたそうにしている。ぼくはこの人をちゃんと人間扱い出来ただろうかって毎回思う。誰に対してもそう思う。るいるいさんと二人で道に出て、ふらふら歩く。ぼくは今すぐ家に帰りたかった。でもこのスナックの女の人が、ぼくに対して職業的な申し訳なさとかを感じているのではないかと思うと帰れない。ぼくが無言なのは相手がるいるいさんだからではなく、誰に対しても無言なのだと伝えるのがとても難しい。あなた、大丈夫? とるいるいさんがいう。大丈夫、とぼくは言う。ありがとうございました、とぼくは言う。そして頭を下げる。その姿は、慇懃無礼で下品だよなと思いつつ。大丈夫な人なんていないんじゃないかと思いながら。

 喫煙所の横に花火のような吐瀉物。夜明け前が一番暗い。朝が来る前の冷気の中で電車を待っているぼくは、来年の頭には働くことになりそうである。と、希望なんだか絶望なんだか分からない光に向かってとりあえず進むしかない。人間のめちゃくちゃさにいちいち傷つきながら、おっさんになったぼくはそれでもやっぱり人間をみつめることをやめたくはないなあとか、そんなことを思うリアル。