自然の隙間で生きること

 ぼくが生まれた地元には、太宰治の石碑がある。
 小さな山のてっぺんの、一番見晴らしが良い場所にあり、町を見渡すことができる。
 石碑は、大人の背丈ほどもある岩に文字を穿ってあって厳めしい。石碑の隙間には何故か小銭が挟まっていて、だから子供の頃のぼくは、太宰を聖人か神様だと思い込んでいた。
 山から見下ろすと、左手には青黒い湾が広がり、正面には灰色の町、右手には濃い緑の山が連なる。
 自然の隙間で人間が生活している。
 海からの強い風が吹きつける町で、その風には名前までついている。風はとても冷たい。どんなに分厚いコートを着ていても、冷気が貫く。
 町には小さいながら、海水浴場もある。木製の海の家は、ピンクや黄色のペンキで塗られ、奇妙に派手だった。ぼくはそこで、お母さんに焼きイカを買ってもらった。あるいはかき氷を買ってもらうこともあった。友人たちと海に行くときは、海パンを履いて出て、海に着くなり服を脱ぎ捨て、飛び込む。前方宙返りをしたり、矢のように体を伸ばして飛んだり、ライダーキックをしたりして、自由自在だった。田舎の海水浴場だからルールなんてあまり無かったけれど、本当に大事なことだけは、みんな弁えていた。『沖に行ってはいけない』と、どんな子供でもしつけられている。自然に囲まれて生きることは、自然の怖さを知る事だ。
 かつては花火大会もあった。花火は海から上がるから、ぼくたち家族は、従妹のおじさんの浜の家に行って、屋根にのぼって花火を見た。普段は屋根の上になんかあがらないから、その日は冒険のような気持ちになった。ござを敷いて、まっ暗な海に向かってみんなで座りながら、花火が上がるのを待った。花火が上がると、きれいだね、とみんなで言った。屋根の上でスイカを食べた。
 父と一緒に、山に山菜取りに行くこともあった。わらびや、きのこや、たけのこや、タラの芽を採った。タラの芽はお母さんがてんぷらにした。とても美味しかった。山には野生生物がたくさんいた。熊も猿も蛇も兎も鳥も蜂もいた。カブトムシなどは道に落ちているものなので、デパートで売っているのを見た時は驚いた。
 父は釣りも好きだった。真夜中に、一緒に岸壁で投げ釣りをした。家にはクロダイの魚拓が飾ってあった。クロダイの刺身は美味しかった。
 キャンプ場でキャンプをした。シュノーケルをつけて銛で魚を突いて採った。叔父さんの漁船で無人島の近くに泳ぎに行った。道端に山羊が繋がれていて、撫でに行ったら頭突きをされて尻もちをついた。
 町には、小さいスキー場もあった。冬になると、小学生はスキーの授業をする。ヒュッテで食べるラーメンの味を今でも思い出す。
 雪が降った日の朝は独特のにおいがする。空気が透き通るように固く冷たくなって、窓の外が白く、はっきりと明るい。カーテンを開けると一面の雪景色になっている。雪が降れば雪だるまを作る。かまくらを作る。家の前を流れる川には白鳥がやってくるので、リンゴやパンを投げてやる。白鳥は餌をすごい勢いで食べる。あごの力が強い。勇気のある白鳥は、ぼくの手からそのまま食べる。噛まれると痛いけど可愛い。リンゴは腐るほど家にあった。
 こうして振り返ってみると、あの町は、アウトドアに関するものならほとんど揃っていた。
 当時は自然なんてありふれていて、そのありがたみが理解できなかったけれど、大人になって都会で暮らすようになってから、その暮らしの価値がわかるようになった。
 なんでも経験させようとしてくれた父と母の想いも、身に染みるばかりである。

 

 

今週のお題「地元自慢」